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黄昏鰤 第29話

57日目 「乱闘!暴力と残酷の黒い鬼」

 気が付くと、病室に寝かされていた。病衣を着せられているが、拘束はされていない。体を起こすと全身に激痛が走る。棘は残らずなくなったが、生えていたところに惨い傷跡がある。もう血は止まっていて肉が丸見えだ。消毒なんかしてないだろう。そもそも麻酔をしてほしかった。
 ひりつく手足の皮膚を労わりながらベッドを降りる。首の後ろが特に痛む。角に生えた鋭い棘も折り取られていたので、おれは久々に角を撫でた。断面がちょっと尖っている。撫でながら考える……これからどうしよう?
 やっぱり廊下をうろつくと、病院の者に捕まって、とんでもない目に遭わされるのだろうか。いや、部屋に残ったところで同じだっただろう。どっちにしろあの男を探すしかない。早く殺してもらおう。彼の言ったとおりだ、この病院のやつらは恐ろしい。
 その時、ドスン、と廊下から足音が聞こえた。とてつもなく大きな気配を感じる。ドスン、ドスン、と凶悪な足音は続いている。
 おれは閃光のように思い出した。
 おれが最初にこの病院に来た、悪夢のような経験。そのとき、そうだ、あれに殺されたのだ。あまりの恐怖と絶望で蓋をしていた記憶が溢れ出してきた。
 足音が近づいてくる。何かを引き摺る音もする。どんな姿だったかは見ていないせいでわからない。覚えているのは自分の恐怖だけ。あと……何か、誰かの名前を呼ぼうともがいたことだけだ。今もまだ思い出せない。
 足音と気配は部屋の前で止まった。
 自分の息遣いだけが聞こえる。ふうふうとせわしなく吸って吐いているのに、肺に酸素が届いている気がしない。不安になってもっと激しく吸ってみるが、やはり苦しい。
 そしておれが凝視する中、病室の戸が、ゆっくりと、引かれた。立っていたのは、

「えっ」

 小柄な青年か、少年に見えた。
 だが、髪も肌も何もかもが黒い。手術着の連中よりもさらに暗く、全体がひとつの影のようだった。頭にふたつ角が生えている。そして、金色の輝く大きな大きな目がおれを見つめていた。
 青年は一歩踏み出した。ドスン、と重たい音がする。あの体躯でこんな音が出るのか。手に持っている巨大な机のせいか。なんで机なんて持ってるんだ。片手でひとつの脚を掴んで、あんな端の方を持って、重厚な机をあの形で支えられるわけないはずだ。おかしい。あいつはおかしい。
 真っ黒の青年はやはり似つかわしくない重低音で唸った。
 机を軽々と振り上げる。そして振り下ろす。重量に任せた動きではない、はっきりと武器として振り回している。おれは咄嗟に横へ躱す。全身の傷が激しく痛むが気にしてはいられない。青年の腕を竜尾で打とうとしたが、机を掴んだまま機敏によけられた。
 再び机が振り上げられる。おれは青年の懐へ飛びかかり、引き倒した。重厚な木製の机が床に落ちて、信じられない轟音がする。
 青年は馬乗りになっていたおれを軽々と跳ね飛ばして、逆に乗りかかってきた。金の目が光る。左肩を掴まれたかと思うと、ごぎりと折られた。痛みはもはや感じない。残った右腕でおれも彼の喉笛を握り潰した。肉とは思えない、硬い泥のような感触がした。
 金の目がわずかに細まる。その目で見るんじゃない。お前は違う。見た目は似ててもお前は絶対に違う。
 首を振るって角を左目に突き刺した。残った右目がおれを睨む。見るなって言ってるだろ。
 青年を弾き飛ばし、思いっきり殴ったつもりが避けられる。逆に腕を取られ、壁に投げ飛ばされる。柔道の投げ技などではない、ただ放り投げただけだ。だがまるで高所から落下したような衝撃だった。青年はおれの脚を掴んでなお振り回そうとする。おれは竜尾で腕を払い除けた。

 そしてまた取っ組み合いになり、顔を殴られ首を締められ、目を潰して顎を捥いで、お互いにぼろぼろになるまで戦った。
 最後は、お互いの胸にそれぞれ腕と角を突き刺して、絶命した。


【魂21/力12/探索3】『獣耳、角、火玉、竜尾、鬼腕』

(つづく)

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