黄昏鰤 第38話
74日目 「おのれ自警団!悶絶緊縛感電責め」
「ぐ」右足、「り」左足、「こ」右足が踏むのは階段の天辺、土手の上。おれは振り返った。誰もいない。左右には草に覆われた土手とアスファルトの道路が行き先なく続く。誰もいない。もう一度土手の下を見ても、黄昏に光る川がゆらゆらと流れるばかりだった。
今しがた登った階段に腰掛ける。病院で見た黒い者のことを思い出していた。初めに会った時と比べて、角の形が変わったから、あまり似なくなった。いい具合だ。おれが会いたいのはあれではないのだ。黒くて金目だけど、三角耳の、ああ今ごろはどこにいるのだろうか。
そういえば、ぐりこで登ったということは、相手はちょきを出したのか。猫の手って、ちょきは出せるのだろうか? 出来ない気がする。となると、ここにいたのは違うものか。ふーっと長い息を吐いて、おれは立ち上がった。今日は土手に沿って、空の端まで歩いていこう。
◇
土手の上を歩いていたら、町の方の土手下から石を投げられた。からかいの意味を含んだものではない、武装した男たちが10人ほど並び立ち、拳ふたつほどの大きさがある石をラケットのような器具で次々に投げている。不意をつかれたこともあり、一つの石を頭に喰らって倒れた。
意識が戻る。全身が刺すような痛みに覆われていて、声を上げて暴れたら、顔面を蹴り上げられた。刺すような痛みというのは比喩ではなく、棘のついた金属の縄で縛られているようだ。引きずられるたび、棘が食い込んで、痛みで思考が溶ける。気絶していたほうがよかった。
しばらくすると、なにやら固くてでこぼこした所へ転がされた。
「用意を……」「注意せよ」「くれぐれも……」
聞こえてくる男たちの声は真剣だ。彼らは至って真面目に、遊びでなく、おれを殺してくる。
「準備よし」
おれは痛みをこらえて、首を上げた。何をするつもりだろう。
視界に映るのは黄昏の空へ消失する平行線、その上に男。ここは線路だ。男はおれに巻きつけた鉄線の端を手にしている。彼が見る先にあるのは、切れて垂れ下がった架線だ。……通電、しているのだろうか。
「いくぞ!」「おう!」
掛け声と共に、男は鉄線を投げ、それは見事に架線と接触した。火花が見えた。
75日目 「轢殺!背を押す少女」
「売り切れ」「売り切れ」「売り切れ」赤い文字が並ぶ。おれがよく買っていた飲料水もあった。「売り切れ」。全部売り切れだ。横倒しの自販機はすっかり腹ぺこらしい。電気も足りないのか、文字は不規則に点滅している。
周りを見回す。三叉路の角、樹の下におれは立っていた。見上げると、小さな葉が風にそよいでいる。緑と混じって黄色い葉が揺れ、いくつかが枝から離れて舞った。
ふと思い出して、おれは体を調べた。さっき棘に刺されまくり、さらに感電までさせられたが、どうやら変わりは無いらしい。どこも痛くないというのは、幸せなことである。
三叉路のどの道を進もうか。落ちていた枝を拾い上げて、立ててみる。手を離す。倒れた先は自販機が見つめている方向だった。じゃあ、そっちへ行ってみよう。
◇
枝の示した道をのんびりと進む。左右を民家に挟まれた、薄暗くて静かな通りだった。まるで雑貨のように町の片隅にしまわれてしまう自分を想像する。
歩いて歩いて、歩いて歩くと、丁字路が先に見えた。広い道に突き当たっているようだ。黄昏の光が差し込んでいる。おれは歩いた。
丁字路に出ようかというときに、右方から珍しい音がした。珍しい、といってもこの町での話だ。それは車のエンジン音だった。生きている車があることにも驚きだが、それを運転している者がいるということにもびっくりだ。誰だろう。おれは車が通り過ぎるのを待つことにした。
おれの背を、誰かが押した。
優しく、自然に押し出され、おれは広い道へ倒れ込む。倒れながら後ろを見た。両手を突き出した姿勢で、女の子が立っている。銀の長い髪に赤いスカート。顔には面。真っ黒で、中央にひとつ、赤い目が描かれている。エンジンの音がする。近く、近く。タイヤと地面に頭を挟み潰される。
「あははははははっは」女の子の明るい笑い声が路地にこだました。地面にはおれの血で長い長い線が引かれていった。「あっはははははは」
【魂10/力12/探索3】『獣耳、角、火玉、竜尾、鬼腕』
(つづく)
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