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黄昏鰤 第61話

107日目 「紳士!二足歩行するシベリアンハスキー」

「やあやあそこな君」

 下を向いて歩いていたら声を掛けられた。

「そこな君、怪物よ」

 民家の2階から、背の高い男が顔を出している。男といったが、声と服装でそう判断しただけだ。黒いシルクハットを被り、くるりと反った口ひげをつけ、燕尾服を着た、大型犬がしゃべっていた。
 白色に灰色が流れるふわふわした体毛と、尖った鼻先、それと狼の名残のある目付き。なんという種類の犬だったかな。

「こんにちは」と声をかけると、窓からひらりと跳び降りて、実に優雅に、おれの目の前に着地した。

「こんにちは、御機嫌よう」と一礼する。おれも礼を返した。

「君のことは初めて見るが、見た限り君は中々に強者だね」口ひげを撫でながら男は話し出した。「角、目、腕、尾か。君に敵う怪物はそうそういないだろう。違うかい?」

「はあ、まあ……とはいえ、死ぬこともあります」

「ふむ、わかるよ。人間共に囲まれるのだ」

 その通り。口に出さずとも、表情で伝わった。

「そうだともそうだとも。いくら力を高めようと、凶暴な軍勢には敵わぬものだ。……ときに、君に劣るとはいえ私にも武器がある!」

 犬男爵はそう言って、にいいっと笑んだ。凶悪に鋭い牙がぎらぎらと光った。

「いい牙ですね」

「ありがとう! そう、牙は実に便利だ。なんといっても、あの厄介な人間共を食ってしまえるし!」がちんがちんと空を噛む。「君が欲しいなら分けて差し上げよう、と思うが。どうかね? さらなる力は欲しくないか?」

 犬男爵は片眉を吊り上げて両腕を広げる。
 ……おれは首を横に振った。

「今のままでも大丈夫、です」

「そうかね? 力はいらない、としても……そうだな。君は人間を食ったことは?」

「あります」

「そのとき、味はどうだった」

「いまひとつ」

「それは牙がないからさ」フスッと鼻を鳴らす。「鋭い牙で噛み付いて、引き裂いて、咀嚼する。そうすると人間は特別に旨くなるのだ。それはもう格別の味だぞ」

 本当だろうか? 以前にも人間を美味だと言う青年や少女がいた。彼らもそういえば牙があったな。
 とはいえ……

「でも、いいです。せっかくのお誘いですが、ごめんなさい」おれは頭を下げた。

「ふむ、そうか。それは残念だ。グルメの仲間が欲しかったね」

 犬男爵はすんなりと引き下がり、また一礼すると屋根の上へ跳び去っていった。おれはしばらく彼の残像を見上げて、物思いにふけっていた。
 牙。おれを助けてくれた巨躯の青年、高台で出会った少女、牙。胸躍る美味。

 しかしおれは、どんな感覚であれ、もう人間なんかを好きになりたくなかったのだ。


108日目 「意味深!猪は語らない」

 歩くのに飽きて、民家の窓ガラスに映った自分の目を覗き込んでいると、また声を掛けられた。

「よう兄さん、また会ったな」見知った顔だった。

「ああ、お久しぶりです、猪さん」

「そ、情報屋の猪さんさ。久しぶりだったか? わりと最近会ったような気がするね」手足の短い体にスーツを纏う猪は、冗談めかして笑った。「おや? なんだか素敵なおめめになったな、兄さん。自分でも見蕩れてたのかい、今」

 おれははっと思い出し、掴みかかるように聞いた。「情報屋さん、黒猫。黒猫見ませんでしたか。金の目の黒い猫のこと知りませんか?」

 猪はおれの剣幕に少し動揺したが、答えてくれた。「金目の黒猫だな。俺もな、兄さんが探してるってことで改めていろいろ調べてみたんだ。見たっていう奴はけっこういるし、俺も何度か見たよ」

「ッどこで」

「道歩いてて……とか、遠くで……とかそんなんばっかだ。場所もまちまち」

「……じゃあなんで、おれは会えないんでしょうか」

「さあ、それはどうにもわからん。黒猫はたしかにいるんだから、きっと会えるとは思うぜ? 運が悪いんだろうなあ兄さんは」

「…………」

「いや、運がいいのかもな」

「は?」声に怒気が混じったが、気にしていられなかった。「どういう……?」

「あのな。探すのも、あんまり必死にならないほうがいいぜ。探す相手を変えるのもありか。とにかく、のめりこみすぎると、な」

 猪は奇妙に暗い目付きで言い含めるように言葉を紡ぐ。

「……」

 なんで、と尋ねることができなかった。しかし納得もできなかった。

「まあいいさ、ばかな忠告さ! 忘れてくれよ。それより、アンタのこれまでの話を聞かせてほしい。お代にマトモな飯、食わせてやるからさ」

 話は切り上げられ、いつもの条件が出される。ものすごく腑に落ちないし、困惑と怒りも湧いてきていたが、食欲には勝てず、おれは頷いた。
 彼の根城に案内され、おぼろげな記憶を辿って町での出来事を話した。何故だか以前のように話を聞いてもらって安心したり、懐かしくなったりすることがなく、苦々しい思い出が苦々しく再び刻みつけられるだけだった。耐えられなくて、早々に切り上げたが、猪は許してくれた。

 今回振舞われたのはラーメンだった。さっぱりした醤油味、分厚いチャーシューやメンマやネギもたっぷり乗っている。小さなバラック小屋にこれを作れる設備があるとは思えなかったが、なんかもう食欲がすべての疑念を吹っ飛ばしてしまって、とにかく必死にかっこんだ。むせた。

「黒猫、見つかるといいな」

 最後にそう言って、猪は送り出してくれた。結局探していいのか悪いのか、どっちなのだろう。しかし猪の意見がどちらであってもおれは黒猫を探すだろうし、彼もそれを承知で言わなかったのかもしれない。口の中にはいつまでも醤油の味が残った。


【魂15/力13/探索2】
『猫目、角、火玉、竜尾、鬼腕』『名前前半喪失』『感情:楽喪失』

(つづく)

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