黄昏鰤 第35話

69日目 「対決!黄金の精神」

 坂道を上へ上へと登っていると、いつの日か来た高台にたどり着いた。黄昏の空に沈む町が見渡せる。今度も黒猫を探してみた。やはり見つからなかった。
 かわりに、あの時と同じく、ひとつの人影が目に止まる。民家の屋根に座り、なにやら両手で頭を撫でているようだ。
 人影とはいうけれど、輪郭は人らしくない。根元の太い立派な尻尾がにょろりと生えているのが見える。おれと、お揃いのようだ。何をしているのか気になって見続けていると、不意に人影が振り返り、ばったりと目があった。影は笑った気配と共に大きく手を振る。おれも振り返した。

 ……屋根の上、竜尾が2本。

「どーもス。あんたも町の外から来た人ですか?いや、なんとなくなんスけど」

 手を振ってくれたのは、高校生くらいの少年だった。といってもおれより身長もあるし体格もいい。

「はい、結構前に」

「見たカンジ苦労したみたいスね」

「そちらも」

 竜尾をはじめ、少年はあちこち異形を持っていた。つまり、この町でそれだけ死んだということだ。皮膚には薄い鱗が並び、笑うと牙が覗く。両手は人の手なのだが、かすかに青色の輝きを纏うように見えた。
 そんな風体でもとびきり目に付くのが、迫力あるリーゼントの髪型だった。その髪型に、装飾の多い服装が相まって、町の怪物とは違った威圧感のある人物だと思ったが、話してみると気さくで穏やかな人柄のようだ。

「黒猫は見てないスね〜〜〜俺も一緒にいた人探してるんすけど全ッ然見つからないんスよ!この町マジに広いですもんねえ」

「一緒にいた人?」

「ええ、こう……俺より背が高くて、無口でコワーイ感じの人なんスけど」

「痩せてる人ですか?」

「いや、全然、ムッキムキすね」

「じゃあ多分、見てないですね……」

「あー、別に大丈夫スから気にしないで!」手をぱたぱたと振って笑ってくれる。「俺も大丈夫だし、向こうも間違いなく大丈夫なんスよねぇ、あの人だと」

 言いながら、髪を手で撫でて整えた。一番初めに見た動きだ。それにしても凄い髪型だ。こんな頭の人に会ったのは、この町に来ても初めてだった。

「あの、その髪も怪物に襲われて、そうなったんですか?」

 その言葉を聞いた途端、穏やかだった彼の表情が、完全に失せた。

「えッ」ぴくりとも動かずに石像のようにおれを見ている。怒らせてしまったのだろうか。まずいことを聞いたのだろうか。「あ、の、ごめんなさい」と恐る恐る言ってみたが、動かないままである。

 そのまましばらく沈黙が流れた。おれの胃が焦りで誤作動を起こす前に逃げ出そうかと考えていたころ、ようやく彼はぱちりと一度瞬き、目に確かな意識が戻った。
 おれは安堵しかけたが、そうもいかなかった。

「うおっ!?てめー化け物!なんだ俺を食うつもりかァ!?」

「えっ?」

「そう簡単にやられねえぜ俺はよぉ~ッ」

 少年は屋根の上に立ち上がり、構えを取った。不敵に笑ってはいるものの、完全におれを敵視している表情だ。とてもさっきまで世間話をしていた相手に向けるものではない。おれは言葉も見つからず、うろたえるばかりだった。

「なんだ?来ねーのかよ?情けねー奴だぜ」その時、少年の両手が纏う光が強くなったように見えた。「ンならこっちから行くからなァ!」

「!」

おれの顔面をまっすぐ狙って殴りかかってきた! おれは咄嗟に体を反らして避けるが、「があッ!?」拳は空を切ったはずなのに殴られた!
 衝撃と困惑で脳が停止している間に、もう一度顔面に拳が入る。目の前がきらきらと瞬く。視神経ががたついたせいもあるが、あの手の纏う光が残るのだ。少年は雄叫びを上げてさらに殴りかかってこようとする。まずい、あれを喰らい続けたら、死ぬ! おれは体を捻って竜尾を振った!
 少年の頭を目がけて振り下ろした尾はぎりぎりのところで外れた。それでいい! 足元の屋根板が瓦とともに陥没する!

「何ッ」

 慌てた少年は体勢を整えようと一度退くだろう。
 と思った。彼を甘く見ていた。逆に彼は飛び込んできた。両手を無事な瓦につき、勢いを付けて前転したのだ!
 まさか向かってくるとは思わず虚を突かれたおれは彼の竜尾に打ち据えられる。両手ばかり警戒していたおれの失敗だ。頭が屋根に思い切り叩きつけられる。角が屋根板に刺さった。抜けない。マジか。額がものすごく痛い。頭上で少年が今にも殴りかからんと振りかぶっている気配。頭をぱっくり割られて死ぬなこれは——と覚悟を決めた瞬間だった。

「ッとお!?」ガラララと轟音がして、戦いの衝撃に耐えかねた瓦たちが、ごっそり滑落した。おれの体にも重たい陶器がどさどさぶつかって、軒下へ押しやってくる。「だ、いだッ!」ガララ、がしゃん、がぎゃん。

 音が止んだ。おれは足を滑らせながらも、屋根板に突き刺さった角が抜けずにいたおかげで落下はせずにすんだ。首をどうにか捻って、板を多少突き破って、なんとか抜いた。
 屋根の上に少年はいない。瓦に巻き込まれて落ちたらしい。軒下を覗くと、割れた瓦が散らばっているが、少年はいない。
 どこへ行った? と思う間もなく、淵についていた手をぐっと引かれて、落ちた。掴んだ主は雨樋に掴まりぶらさがっていた少年だった。瓦の破片の中に背中から墜落する。少年はひょいと着地し、倒れるおれに向かってきた。

「観念すんだな……」両手がまた光を纏う。

 おれは少年の顔越しに黄昏の空を見上げていた。どこかの時点で割れた額がドクドク音を立てて出血しているのが聞こえる。体中のあちこちも打撲の痛みがうるさい。空では雲がのんびりと泳いでいる。少年は拳を振り上げて、振り下ろした。

「変な髪型だよね」

 おれがぽつりと零したその言葉に、少年が再びぴたりと止まった。
 おれの鼻先すれすれでで光る拳が微動だにせず待っている。持ち主の精神が戻るのを。少年は曇った瞳でおれを見つめている。おれは拳を避けて、立ち上がった。少年は地面を見つめたままである。
 少年は動かない。おれは黒い右腕を振り上げる。少年は動かない。中枢を抜いた機械のようだ。こんな状態の彼を襲うのは卑怯かもしれない。そんな考えもよぎったが、おれは目を閉じて、拳を振り下ろした。彼の頭は地面へ叩きつけられ、がちゃりと潰れた。

「ごめん、思ってないよ、かっこいいと思ったんだ……」

 彼が何度も丁寧に整えていた髪型は見るも無残に崩れてしまった。おれは黄昏の空の下で、しばらくの間、謝罪を祈り続けた。


【魂16/力12/探索3】『獣耳、角、火玉、竜尾、鬼腕』

(つづく)

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