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黄昏鰤 第30話

58日目 「水没!第9の異形と特に意味のない池」

 自分の足音で意識を取り戻す。いつから歩いていたのだろう。周りを見れば、黄昏色の町に戻ってきていた。押し黙る家々に囲まれたどこかの路地だ。ふと視線を感じる。振り返ると、おれを見つめていたのは地蔵だった。頭が割れて右目がなくなっている。
 右腕を出して触れようとして、ふと固まる。右手が変質している。肌は影のような真っ黒になり、黄昏の光をすべて吸収していた。左手よりもはるかに長く、太い。爪は肌と一緒に影に溶け込んで見えなかった。時折、金色の光が表面を走る。それはあの病院の青年に輝く瞳を思い起こさせた。
 地蔵の頭を右手で掴んでみた。重たい石の塊のはずなのに、あっさりと片手で持ち上げられてしまった。
 彼の腕なのだ。あの病院の化け物。しかし、何故あんな見た目をしていたのだろう。何故、おれが会いたくてたまらない姿をしていたのだろう。
 黒い影。金色の目。あんまりじゃないか。
 違う、おれが会いたいのは、この町にいる黒猫だ。おれは黒猫を探すのだ。地蔵を元の場所に下ろし、黒い右腕と竜の尾を振りながら、おれは路地を再び歩き出した。

 路地を抜けると、溜め池が目に付いた。以前、人間たちに沈められた池といっしょなのかはわからなかった。深緑の水が、橙の光を受けてきらめく。あまり美しくはない。
 ふと、池の底になにか見えた気がした。目を凝らすとたしかに平たいものが沈んでいるのが見える。それは封筒だった。平たいと思ったが、封筒にしてはずいぶん厚い。水の中にあるが、どうやらビニールの袋で密封されているようだ。誰かが落としたというより、ここに隠しているような印象を受けた。
 拾ってみたいと思ったが、池はそれなりに深い。しばらく迷ったが、封筒は諦めた。濡らして、右目の火が消えてしまわないか不安だったのもあるし、なにやら水に不穏な気配を感じたのだ。隠してあるものを無理に暴くこともない。
 池を後にして、おれはまた猫を探して歩いた。


59日目 「また二度寝!あの時のおれではないけれど」

 初めは風だと思った。路地の片隅で休息を取っているうちに眠りに落ちていたおれの頬を何かが撫でている。するり、するりと撫でるそれは風ではない。人の手だ。撫でる動きをおれは知っている。以前、こうやって同じように撫でてくれたあの手だ。
 するり、するり。手は撫で続ける。目を開けて顔が見たい。そう思うのに、やはり瞼が開かない。あまりに心地よかった。柔らかい人の手。人。ああ、撫でてくれているのは人間なのだ。こんな化け物のおれを撫でてくれる、優しい人。

 似合わないよなあ、と、また思った。
 やはりこの手を知っている気がした。


60日目 「禍根!生き残らされた少女」

 つかの間の安らかな眠りから目を覚ますと、周りの状況が一変していた。暗い路地に座り込むおれの周りを何かが囲んでいる。
 それは血まみれのぬいぐるみだった。目の前に細い脚。
 顔を上げれば、虚ろな目をした少女が、赤い長髪の生首を抱えて立ちふさがっていた。おれの頬を撫でていたのはこいつなのか?
 いや、違う。彼女の両手はそれぞれ荒縄と生首で塞がっている。少女は首を異様に傾ける。生首を持ち上げて頬擦りし、しゃべり出した。

「われわれに、くみするとでも、はなしはできるか、ばけもの」

 抑揚の無い、間延びした声。

「しんでくれ、我々の安心のためにー、むごたらしくころす」

 そして、右手に持つ縄をおれに差し出す。そのまま空を見上げて黙ってしまった。

 おれは気がついてしまった。この子は、かつておれが虐殺した館の。ひとり、死体の山に、残してきた少女だ。少女が頬を寄せているあの生首は最初に殺したリーダー格の女のものだし、周りを囲むぬいぐるみにくくりつけられている服や、髪や、手足も、そういうことか? おれが暗い衝動にまかせて殺して回ったあの館の女たちの。
 おれは立ち上がり、縄を持つ少女の手を掴もうとした。おれの黒い右腕はまだ意識に馴染んでいなかった。思ったよりも遠く速く腕は振るわれてしまい、少女の肘を打った。縄は落ちた。少女はそれを目で追った。腕は奇妙にねじくれている。

「しんでくれ、おねえさん、きょうはなにしよう? いつかあたたかい……」

 少女は変わらぬ様子でぶつぶつと呟いている。

「ごめん」おれが話しかけても顔は上げない。

「ごめん、今更だろうけど、ごめん」

 遠い日を見ている少女の頭に、角を刺した。

 少女は斃れた。周りのぬいぐるみと一緒に眠っているように、おれには見えた。都合のいい錯覚だったかもしれない。この少女がまた目覚めても、遠くの日から心は戻らないかもしれない。体の死なないこの町でも、心は死ぬのか。

「ごめん」今更だろうけど、謝る他になかった。


61日目 「残響!住人じゃないだろお前ら」

「しんでくれ」

 声がした。はっきりと。少女は目覚めない。彼女の声ではない。

「しんでくれ」

「しんでくれ、我々の安心の」

「我々の安心のために」

 声がおれを囲む。赤毛の生首がおれを見ている。

「しんでくれ」と、口を動かしてしゃべった。

「しんでくれ」後ろからも声がする。
 振り返ってもぬいぐるみがあるばかり。だが、ひとつのぬいぐるみにくくりつけられた細い手が、落ちていたはずの縄を握っている。おれに差し出しているように見える。

「しんでくれ」

「しんでくれ」

「しんでくれ」

 半狂乱になったおれは、ぬいぐるみや人体の部位を原型をとどめないほどに潰して回った。少女の死体も頭を潰した。そして、走って、逃げた。声が聞こえなくなるまで。


【魂19/力12/探索3】『獣耳、角、火玉、棘、竜尾、鬼腕』

(つづく)

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