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黄昏鰤 第54話

96日目 「再々登校!旋律鬼兵ドラゴンスレイヤーf(フォルテ)」

 ぎんごん、がんごん、やたらと濁って響くチャイムに、淡い眠りから叩き起こされる。おれが顔を伏せていたピアノが共鳴して呻いた。
 ぼんやりとした頭で状況を確認する。ピアノ、黒板、西日の射す横一列の窓、つまり教室、ああまた学校か。チャイムが苦い余韻を残して鳴り止んだ。
 余韻が消えてもピアノはわずかに震えた音を発している。地鳴りで揺れる床と共鳴しているのだ。振動の原因はあの竜だろう、と察した。何度殺しても黄泉返るなんて、この町ではもはや当然のことだ。遭わないうちに学校を出てしまおう。
 なんとなくピアノの蓋を開けて、また鍵盤を叩いてみた。やはり音は狂っている。うんざりした気分でおれは音楽室を後にした。

 廊下に出たとたん、窓ガラスを叩き壊して竜の顔が突っ込んできた。すんでのところで噛みつかれずに済んだが、目の前には赤紫の牙が光っている。挨拶ぐらいしろよな! おれは鼻先に右手で拳を叩き込み、竜の顔を退ける。校舎にしがみついている竜は今度は爪を突っ込んできた。やむなく音楽室へ引き返すと、直後廊下の一部と音楽室の扉が爪で抉られて派手に吹き飛んだ。黄昏の空が穴から覗く。そこからさらに校舎を破壊しつつ、竜はおれを掘り起こさんと爪を突き立ててくる。無茶苦茶してくれる。おれは竜の前足をまた殴って骨を砕いた。悲痛な咆哮が聞こえる。
 廊下の竜の顔に向かって、音楽室にある机や椅子をとにかく投げつけまくった。奴からすれば軽いものだろうが、おれの黒い右手で思い切り投げればそれなりにダメージはあるようだ。椅子の脚がひとつ目に刺さり、竜はさらに吼える。しかし、足りない。小さすぎる、軽すぎる。そのうち振り払って部屋に突っ込んでくるだろう。
 竜がひときわ強く吼えた。床と空気がびりびり揺れた。弦が鳴いた。

「……」

 これか。そっか。
 おれは後ずさって、それを掴む。重い。弦がまた鳴く。
 病院で会った黒い影を思い出す。重厚な机を軽々振り回していたなあ。おれも歯を食いしばって、それを持ち上げた。
 竜の顔が教室に入ってくる。おれはグランドピアノを脳天に振り下ろした。狂った音が響いて、竜の頭蓋と、ついでに床をぶち抜いた。

 てゃーんと間抜けな音がしばらく続いたが、やがて静かになった。床にのめりこんで痙攣していた竜ももう動かない。おれは右肩をごきりと回して、長い溜め息をついた。左目がむずむずする。また瞳孔が開ききっていたらしい。なんだ、とにかく、また猫を探さねば。そのためには学校を出よう。シンプルだ。

 早足で校舎を出て、校門も問題なく見つけて、下校。
 よく探せば以前の失くし物を見つけられるか、と少し考えたが、さらに何か失うのが怖いのでやめた。猫、猫だ。猫を探すんだ。


97日目 「何度寝?夢は青空を駆け巡る」

 町に出て、がむしゃらに黒猫を探し回ってみたけれど、今日も成果はなかった。建物の隙間に座り込んで足を休める。
 猫ってどこにいるのだろう。そこの家の窓、あの箱の影、こっちの道の先、視界のどこにだっている気がしてくる。でもいない。ずっといない。わからない。
 なんだか怖くなって、目を閉じた。黒猫の姿は……はっきり思い出せる。すらっとした体に細い尻尾、金の瞳。屋根の上を軽やかに歩いて行ったあの影は忘れようもなかった。やはりおれの視界にはいつもいるのだ。そうして瞼の裏の黒猫を追いかけているうちに、眠り込んでしまった。

 夢の中でも猫を追いかけて、無限に広い草原をずっとずっと駆けていた。空は青色で、おれには角も尾も無く、猫は笑っている。何かにつまづいておれが転ぶと、猫は引き返してきた。手を伸ばして寝転ぶおれの頬を撫でる。手? 猫じゃない。いや、夢の中のおれは猫だと思っている。
 優しい手の感触にうっとりしていると、夢の中なのに眠くなってきて、おれは瞼を閉じた。ああ、この手はいつも撫でてくれるあの手じゃないか、と思い至る。なんだ、君はあの黒猫だったのか。そっかそっか。おれは心底嬉しかった。手を伸ばして、猫を撫で返そうとした。

 首の痛みで目が覚める。目を閉じたまま、乾いてしまった喉をけほんと鳴らした。寝るんだったら横になればよかった、とぼんやり思う。
 ゆっくりゆっくり目を開けると、頬に残った優しい手の感触も、ゆっくりゆっくり大気に溶けた。黒猫はいない。


【魂19/力13/探索2】『猫目、角、火玉、竜尾、鬼腕』『名前前半喪失』

(つづく)

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