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心が痛いと言っている。

祖母が亡くなった。

その知らせを聞いたとき、今まで悲しみだと思っていた感情が全部偽物だったんじゃないかと思えるほどの悲しみが、私と母とこの家全体を包んでいるように感じた。
人が死ぬというのがどういうことなのか、私は知らなかった。近い肉親の死は初めての経験だった。

前々からもうそろそろ危ないんじゃないかと言っていたから、いつこの状況になってもおかしくなかった。
でもどこか他人事で、本当に現実に起こることとは思えていなかった。
私は特別おばあちゃんっ子だったわけではない。私は泣くのだろうか、悲しむのだろうかと半ば疑っていたところも正直ある。

それが、こんなに泣けるのだ。自分を構成していた一部がなくなったと感じる。心が痛いと言っている。

私のことなんてとっくの昔に忘れてしまった祖母。年齢を重ねるにつれてだんだん会いに行く頻度が減ってしまった。コロナが始まってからは1回しか会っていない。ごめんなさい。でもほんの少しの時間でも、あの時会えて良かった。もっと後悔していたかもしれない。

初めて故人とのお別れの儀式を最初から最後まで経験して、心の整理をつけるために必要な時間だと感じた。昔の人ってすごい。何も知らなかった頃は、何日間も面倒だなとつまらないことを考えていたものだ。葬儀の段階を踏んでいく過程に参加することの意味を強く感じた時間だった。自分たちは今、旅立っていく祖母をお見送りしているのだ、と感じた。夜は久々に親戚が顔を合わせて食事をしながら、あの時祖母がこんなことをやった、あんなことを言ったと昔話に花を咲かせる時間も供養の一部で、大切な時間。初めて会うような遠い親戚にも会っていろんな話をして、祖母が与えてくれた贈り物だなとまた思いを馳せる。人が亡くなるのは、もちろん悲しくて辛いことではあるけれど、そればかりでもないのだと知った。

祖母は手がとてもきれいな人だった。最後にもう一度、あのきれいな手に触れられたらと思う。でもそれはもう叶わない。今までありがとう。いってらっしゃい。

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