見出し画像

【研究】巨人の肩と先輩の背中。

1年くらい前,研究ってすごい…!と感銘を受け,noteを書いた。

修士・博士課程の先輩たちの研究発表会を見て,とても心動かされて書いた記事だった。(まだ大阪弁で文章を書くことを模索している時期の記事でいろんな意味で恥ずかしい。)

先日,昨年と同じく研究発表会に参加して,昨年にも増して感動してしまった。ここに至るまで,一歩一歩自分の研究を積み重ねてきた道のりに思いを馳せざるを得ず,泣きそうになる。

同じ研究室でお世話になっている先輩たちが2年間努力している様子を間近で見てきて,その集大成となる発表の場だったこともある。

発表会では,2年やそれ以上の年月をかけて取り組んできた自分の研究を,約10分という短時間に凝縮させてプレゼンする。

そのプレゼンや執筆した論文について,教授陣がねぎらいの言葉と共に,鋭い指摘を投げかける。中にはちょっと酷なんじゃないかと思うような質問もあるけれど,それはそれで発表者を自分と同じ研究者として対等に関わろうとする意志を感じられたりしてぐっとくる。

1年前に,研究ってすごい,とわかったような気になっていろいろ偉そうに書き散らしたけれど,あの時はまだ全然,全く,これっぽっちも研究とは何かがわかっていなかった。書いたことは今読んでも納得はできる。間違ったことは書いてない(はず)。でも,当時は表面的にしかわかっていなかったと思う。

1年経った今もそうだ。卒業論文を書き終えて,昨年より少しは成長したところもあるとは思うけれど,私はまだ研究という営みのスタートラインにやっと立ったぐらいなんじゃないだろうか。

発表会で,身ひとつで聴衆の前に立つ先輩たちの姿は本当にかっこよかった。自分はこれだけやってきたという自信と,自分の研究がどう評価されるかという不安。この2つがせめぎあう気持ちが痛いほど伝わってきた。費やしてきたエネルギーが多ければ多いほど,自身と不安もそれに比例して大きくなる。

でも,聴いている私には,分野を問わず全ての研究がとてもおもしろく,全ての発表者が輝いて見えた。仮説通りの結果が得られなかろうが,どれだけ教授に詰められて言葉に詰まろうが,これまで懸命に研究に取り組んで形にしたという事実は変わらない。先輩たちの姿を見て,私もあの場に立つにふさわしい研究をしたいと思った。巨人の肩の上に立ち,新たな知見を積み重ねた先輩たちの背中がまぶしい。ただの1人の学部生に,多大なる影響と感動を与えて下さりありがとうございました。

発表された先輩方,これまで本当にお疲れさまでした。最大限の敬意と感謝を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?