Hannah Arendtという人(略歴)

1906年10月14日にドイツで生まれる。

マールブルク大学でマルティン・ハイデガーに、フライブルク大学でフッサールに、ハイデルベルク大学でカール・ヤスパースに師事し、博士論文として『アウグスティヌスの愛の概念』を書き上げる。

ナチスの進行に伴い、1933年にフランスに、1941年にアメリカ合衆国へ亡命。アメリカでは無国籍状態で英語を学びつつ、後にジャーナリストとして、大学教員として勤めた。

1975年、逝去。

アレントの生きた道を辿ると、思想の流れと共に、ハイデガーやヤスパースという哲学家だけでなく、ユダヤ人の師ゲルショーム・ショーレム、生涯の親友メアリー・マッカーシー、2番目の夫ハインリヒ・ブリュッヒャーなど、豊かな人間関係を築いていたことに気付く。

だからこそ、彼女は生まれや組織に偏らず、ただ純粋に思考できたのではないかと思う。それはまさに、アイヒマン裁判についてアレントが執筆したレポートにより関係が断絶したショーレムへの手紙にアレントが書いたとおり。

「ユダヤなど、特定の民族を愛したことはない。私が愛するのは、ただ友人だけである」


※私の生まれる前に亡くなっている人がタバコを吸い、話す姿を見られるということに、素直に驚きをおぼえる。