見出し画像

映画『100,000年後の安全』 ~あらゆる可能性と語り合うこと

映画"INTO ETERNITY"は、未来の人類のために、今生きる人びとが語り合い、世界を残そうとする試みを描いている。テーマはフィンランドでの放射性廃棄物の処理場であるオンカロ建設であり、監督と議会の人びとの対話を中心に「未来の人びとへのメッセージ」という形で構成されている。
(オンカロとはフィンランド語で「隠し場所」「洞窟」を意味する)

「核に賛成か反対かは最早問題ではない。私たちには責任があるのです」

「未来の人びとへメッセージを」

「われわれより良い未来を創ってください。 Good Luck」
(Michael Madsen "INTO ETERNITY" 2009)

「今分かっていること」
「今から予想できること」
「今は考えもつかないこと」

これらについて議会では包み隠さず情報の開示、議論がなされ、あらゆる知識を総動員してオンカロ建設のための対話シーンが映し出される。本来の政治の姿をイメージさせられる、心動かされる光景だ。

「今分かっていること」とは。少なくとも放射性廃棄物の処理には10万年かかるということ。スカンディナビア半島の花崗岩は180万年安定しているということ。(ロケットでの誤発射を避けるため宇宙への廃棄を、地底変動を危ぶんで海底での廃棄を候補から外した)

そして、「今から予想できること」。6万年後、フィンランドのオルキルオト島はツンドラ地帯となり、おそらく人類が住める環境ではないと予想されること。(だから、人から忘れ去られる心配がある)

最後に、「今は考えもつかないこと」。10万年後の人類がどのような価値観や需要、言語、文化をもっているかということ。(10万年前といえば、ネアンデルタール人が生活していた時代だ。当然、10万年後の人類も進化を遂げているだろう)

「今分かっていること」と「今予想できること」に基づいてオンカロは建設されている。問題は、オンカロを未来の人びとにどう継承してゆけるか。未来の人びとは完全封鎖され、決して開けられるべきではないオンカロを宗教的儀式や財宝の隠し場所かと思い、掘り返してしまうかもしれない。ルーン石碑やピラミッドの墓を、現代の私たちが暴いたように。

-----------------------------------------

〈放射能の歴史〉

レントゲンがX線を発見した翌1896年、フランスのベクレル(1852-1908)が暗室でウラン鉱石を写真乾板で包み、現像した結果、ウラン鉱石からX線に似た感光作用を持つ放射線(通称ベクレル線)が出ていることに気付いた。

その発見を受け、マリー・キュリー(1867-1934)は、夫ピエール・キュリーが発明した計測器を使い、ウラン鉱石から放射線を出しているのはウラン原子であることを見出し、その放射線を出す性質を「放射能」と名づけた。

1930年代には核エネルギーが発見され、原子爆弾、原子力潜水艦が製造され、それらの知識を転用する形で1951年、アメリカで世界厚の原子力発電が行われた。1953年には国連でアイゼンハウワーによる"Atoms for Peace"が提案されている。

日本では第二次世界大戦後、原子力についての研究は全面的な禁止がされていたが、1952年のサンフランシスコ講和条約を契機に解禁。1955年には原子力基本法が定められた。

けれども、どの国においても未だ放射性廃棄物の抜本的解決案は提示されていない。現在「少なくとも」世界には25万トンもの放射性廃棄物が存在しており、その処理には「少なくとも」10万年もの時間が必要とされると予測される。

 *

〈放射性廃棄物処分の先駆者〉

1980年代初期、フィンランドの原発事業者は、放射性廃棄物が「いずれ」「どこかで」処分されなければならないことに気付いた。
1983年、フィンランド全土を対象とした処分場の候補地選びが始まる。
1996年以前はロシアで使用済み燃料の再処理を任せていた。
1994年、フィンランド議会は原子力エネルギー法を改正し、放射性廃棄物の輸出入禁止及び国外での再処理を禁止した。一時的に仮保管所が建設された。
1995年から放射性廃棄物の処分施設プロジェクトを担当するポシヴァ社のティモ・アイカス副社長は言う。「私達は現実的な考え方をします。放射能廃棄物を生じさせれば、その安全な処理についても責任をとる必要があることは当時から解かっていました」
2004年、放射性廃棄物の処分場としてオルキルオト半島が選ばれ、地下埋没処分場「Onkaroオンカロ(フィンランド語で「隠し場所」「洞窟」の意)」の建設が始まった。

地下420メートル。
操業開始2020年。
操業停止2120年。
完全封鎖10万年間。
建設総額30億ユーロ。