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X JAPAN

xjapanも自分のボーカルスタイルに影響を与えたアーティストの一人で、作曲のスタイルでbpmが速い曲を作ろうとしちゃうのも紛れもなくx japanの影響ですね。

初めてx japanというバンドを知ったのはlast liveでした。
親は二人ともx japanを全く聞かない家で育ったので、中学2年の時初めて存在を知りました。

その頃既に神格化されていて、同じクラスのメンバーもyoshikiファンが多かったのですが、自分が初めて聞いたのは解散後でした。
その頃はtearsという曲が好きで、物凄いハイトーンボイスで歌うtoshiは他のロックバンドとは一線を化してるなと当時思いました。
中学3年の時友達のお母さんが車で流すくらい好きでyoshikiの事を熱烈に語っていたのでyoshikiってボーカルじゃないのにそんな凄いんだと、自分以上に周りがx japanの事好きな人が多くて、色々な情報が入ってきたのが中学3年、高校1年の時でした。

特に吹奏楽部の人たちがx japanのyoshikiのドラミングについて熱く語っていて、当時バンドや楽器をやっていなかったのでボーカルのtoshiくらいしか凄さがわからなかったんですが、toshi以上にyoshikiやhideの人気があることを後から知り、ボーカル以上に楽器メンバーの人気が高いバンドを初めて知りました。
中学の頃は主にx japanの方を聞いていて、カラオケでrusty nailやtearsに挑戦しましたが、全く歌えないくらいキーが高かったのを記憶しています。

高校になりX初期の曲を聴いてさらにびっくり。
なんだこの激しい曲と汚い声は。
同じボーカルが歌ってるとは思えないほどショッキングでしたね。
i'll kill you、オルガスム、x、紅と何ちゅう曲だとカルチャーショックを受けた記憶があります。

ただ高校の時はまだラルクが1番好きだったので、x japanをカラオケで歌おうとは思ってもいませんでしたが、大学でバンドを組んでからXにのめり込んでいきます。
バンドで歌うにはバックの爆音に勝る声量と音域を手に入れないとダメだと思い、ボイトレを本格的に始め、ボイトレをして、カラオケでXの曲を4ー5時間歌うを繰り返したら1年くらいでその音域が出るようになり、大学2年くらいでx japanの大体の曲のキーは出せるようになっていました。
その後テクニックなども身につけてDAHLIAのような歌いづらい曲やforever loveやthe last songやart of lifeのような曲も歌えるようになり有頂天になってましたが、その頃toshiの英語の発音は良くないってサークルのメンバーに聴いて初めて知り、toshiの歌を完コピしたおかげで英語の発音の悪さまで完コピしていました(笑)
その後10数年にわたり英語発音に悩まされ、今では開き直ってますが2.3年前まで色々英語発音の良いアーティストを選んでコピーしたりしてましたが未だに課題を克服できてないです(笑)

Xが歌えると洋楽のHR/HMを歌うのも苦労したことがなく、FAIRWARNING、AEROSMITH、LOUDNESS【マイクヴェセーラ期】以外は大体歌えるようになりました。

そのくらいXは自分という人間のポテンシャルを上げてくれたバンドだし、運がとても上がった気がします(笑)
Xを歌うだけで大体の人が褒めてくれる感じでもあったので自分にとっての立ち位置はそんな感じですね。

ラルクに関しては2001年くらいを境に興味が無くなっていったんですが、x japanに関してはtoshiが洗脳されてた時期も毎日のように聴いてましたし、再結成後もheroあたりまで聞いてたので、歌、作曲にもかなり影響受けてますが、そこまで分かりやすく影響は受けてないように聞こえるかもしれません。

それくらいtoshiの声、パフォーマンス含めたら
skid rowのボーカルに匹敵するくらいパワフルだし
自分の中でエモーショナルの部分では世界一じゃないかなと思わせてくれるバンドです。

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