《木曜会:5月23日》
一日に寒暖の差があることは良いことだ。昼間に太陽がでていると、気温は25℃を上回り、夏に向けて心構えのできていないヒゲの男はダラっとしている。夜間はそこから10℃近く下がり、夜風が気持ち良い。よって、ヒゲの男は夜もダラっとしている。
この気候の不安定さが、不安定な毎日のリズムを過ごす人間にとっては、奇妙な安定をもたらすのではないだろうか。
このメンバーで改めて話すことなど特にないということがわかった。ヒゲの男一人のみがそう感じているのではなく、ここにいた全員がそう感じた。そうしたときは決まって、ファラオの昔話に耳を傾けようという会になる。一人の男の生き様から、何らか教訓を得ようとしている。
「最初に宮崎県へ行ったときは何でいったのか教えてよ」(ヒゲ)
「妻の実家がある宮崎へ最初に行くとき、夜行列車で行きました」と当時のことを思い出し懐かしむファラオ。
だが、しかし、ファラオの声は通らない。ファラオ自身はボソボソとしゃべっているのではなく、自分なりにハッキリとしゃべっているのだが、発声による空気への振動が非常に弱い。したがって、ファラオの声がこちらに届くまでに声は随分と減衰してしまい、近寄らないと耳に入ってこない。
なので、ファラオを中心として木曜会のメンバー全員は若干彼に近づくようになる。一般人との会話に比べて、微妙に近寄るのだ。それがどういった感じなのか、言葉で説明するのは難しいので近しい距離感の動画をご覧ください。
ファラオが語る半生は前述したように、ヒゲの男たちにとって今後の教訓になることが多分に含まれている。ただ、なんとなく教訓が含まれているのはわかるが、そこから具体的に何を教訓とすればいいのかは、ヒゲの男たちにはわからない。何かがそこにあることしか、今はわからないのである。
「もう、何も起こらないし早いうちに帰ろうか」(ヒゲ)
「今日は木曜会の幹部会ですね」と、にこやかに冷泉は言う、その恐ろしいほど通ってくる言葉を耳にして一同はザワザワしだす。
——みんなの心に同じ疑問が浮かぶ。
『幹部会ってなんやろ、もしかして、いつの間にか自分は幹部に入れられてしまっているのか?』
冷泉はハッキリとこの場に集まった誰と誰が幹部で、誰と誰がそうではないのか境界線を設けなかったが、あのニュアンスではとにかく一度でも参加した人は全員が漏れなく幹部という認識を持っているような体だった。器が大きい。
ヒゲの男は想像する。仮にここで冷泉が「幹部会を抜けたい人は、挙手を願います」と発言すれば、この場にいる全員が挙手をしていたのではないかと感じる。そして、通常ではあり得ないことだがその挙手した人たちの中には、冷泉本人も必ずいると思う。
次回の木曜会は5月30日となります。幹部の方たちのお越しをお待ちしております。
《金曜会:5月24日》
以前、冷泉の会社で働いていたアッキーが出張で大阪に来てるというので、猫の額のように小さな店『コロマンサ』に集合することになった。ヒゲの男は初対面ではあるものの、冷泉を通じていつしか彼女とは旧知であるような錯覚を持っていた。
ヒゲの男と貿易会社の女が一番乗り(夜の20時ではあったが)、すぐに冷泉とアッキー、そして元アナウンサーの女、MYOさん、浦部君、ムエタイ野口、べらぼう水野(初登場)が集うこととなった。
「ITのことなど何もわからず入社したけれど、加藤(冷泉)さんに1から教えてもらいました」と笑うアッキーは、冷泉がヒゲの男たちと出会う前、つまり冷泉になる前の加藤利彦をよく知る貴重な生き証人である。今は博多で「営業に特化したバックオフィス業務の仕組み化・実務代行」の法人を設立したアッキーに冷泉との仕事はどうだったのか訊く。
「楽しかったですよ」と含み笑いを持たせてアッキーは教えてくれる。ヒゲの男たちはどんな状態が「楽しい」のか勝手に想像する。
朝、アッキーが出社する。扉を開けるとラッパとドラムが存分に鳴った、ご機嫌なニューオーリンズ・ジャズが爆音で流れている。フローリングの向こうから、テンション感の危ういニコニコした冷泉が両腕をYの字に上げ、両膝を付いたままアッキーの方へ、床を滑ってくる。これは楽しい。
ここでムエタイ野口から貴重な情報が入る。東京での冷泉は大阪での冷泉と若干ではあるが雰囲気が違うのだと教えてくれた。それはそうなのだろうとヒゲの男たちも納得した。なぜなら、冷泉には不純物がないからだ。
どういうことなのか例を挙げよう。
例えば洗髪時に使用するシャンプーだが、成分表の表記にはこうある。
「シャンプー」と銘打たれた商品ではあるが、結局のところ、一体全体我々は何を使用して頭を洗っているのかよくわからない。これだけいろいろな化合物が混入していれば、この成分へ新たに「東京」が加わっても大して何も変わらないだろう。
次に、冷泉の成分表を記述する。
ここへ新たに「東京」という成分が加わると、これはシャンプーとは違い、大きく冷泉のバランスが異なってくる。シンプルだからこそ、異物が入ったときのギャップ。その辺りの違和感をムエタイ野口は敏感に感じとり、東京と大阪での冷泉には相違点があるということを暴き出した。
同じ人物だとしても場所によって雰囲気が変化するということをバンコクに8年滞在したムエタイ野口と、ニューヨークに5年滞在した貿易会社の女は教えてくれる。世界のどこに行っても邦人のコミュニティが形成されており、日本では考えられないような異質性を感じることができるという。
ヒゲの男もほんの少しだけ海外に仕事で滞在したことがある。が、彼らのような深い話しができない。というのも、北欧の国フィンランドの北「サーリセルカ」という町を拠点にして、ヒゲの男はログハウス建設のためホワイトパイン材(松)の仕入れを担当していたが、日本人コミュニティなどその地になかった。
今でこそGoogleで検索してみるとサーリセルカではオーロラツアーのような催しが行われているが、今から20年以上前には材木以外の目的はスパしかなく、フィンランド国内の保養地といった扱いとなっていたように記憶している。天気が良ければイナリ湖畔の材木加工工場へ向かい、悪天であればホテル内にあるスロットマシンで明日を占った。
日曜日には建てられたばかりであろう、木の匂いをふんだんにさせた聖パウロ礼拝堂に行き、そこで行われるささやかなピアノ演奏会などに参加した。自ら進んで行ったというよりは、何もわからず誰かの列に付いて歩いていると辿り着いたというのが正しい。
通訳はフィンランド航空にてグランドスタッフを務めるミスター宮部が担当してくれた。ヒゲの男よりも20才近く年長で、眉毛が非常に濃く、その朴訥とした佇まいが世界でも早めの紅葉時期を迎えるこの辺境によく合っていた。彼を雇用したのはこちら側の会社ではなく、ヘルシンキ郊外にある『スオメン・ロマコティ社』だった。
高い建物がなく、通りはどれも似たようなログハウスばかりだったこともあり、小さい街なのに道に迷うことがしょっちゅうあった。一度、ホテルへの帰り道がわからなくなり林道で出会った人にこの道をずっと行くとどうなるのか訊いてみたことがある、返ってきた答えは「北極だ」の一言だった。
シンプルでありながら、なんと魅力的な言葉だろうと感じた。自分は今、辺境にいるのだと実感がわいてくる。
さまざまな黄色に彩られた落葉樹の木の葉が一陣の風によって舞い上がり、飛び立つ。誰に教えられたでもないのに、今より遠いところへ、今とは違うところへと種を広げようとする自然の行い。生と死が背中合わせの世界。
時期が来て、風が吹き、たった一度しかないチャンスに自らの命運を賭けて空に散っていく金色の葉を見ていると、自分自身の覚悟のなさを何度も自問した。
果たして、自分は、社会でやっていけるのだろうか——。
人の話しに耳を傾けると、およそ自分一人では開けることはなかったであろう引き出しが開くときがある。そこには美しい思い出もあれば、醜く卑しい思い出もある。しかし、たまに引き出しを天日干しにして風を通してやらないと、思い出は持ち主の独りよがりな解釈や都合によって、変異・腐食していくのだ。
金曜会、次の予定はありません。
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