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《木曜会:5月16日》

『幸運は、大胆な方に味方する』

エラスムス(1466 - 1536)
オランダ出身の神学者、哲学者、人文主義者


5月16日の木曜会には出席できなかった。なので私的日記です。


5月14日 (火) ——。

この日は、木曜会をキッカケにして成立した新規事業を主軸とした『お喜楽クラブ』というグループのキックオフ・ミーティングがあった。参加者と各人の役割をここに記しておく。

船長:冷泉
航海士:コースケ
船大工:ムエタイ野口
貿易商:だんぼ
武器製造:MYO
指揮者:ヒゲの男

冷泉はマインドマップをディスプレイに写し出して、事業概要についてくまなく説明していく。それぞれ真剣な面持ちで冷泉の話しを聞きながら、気づいたところなどがあれば、そこを徹底的に深掘りしていく。

「自分の考えてる、ことを、言語化するの、めちゃくちゃ下手なんですよ」と不気味に笑いながら言うのは冷泉。確かにそうなのかも知れないが、冷泉には他の人にない言質の『重さ』というものが備わっている。ヒゲの男は妙案を思いついた。

「自分が下手なことは、上手なヤツに任せておけばいい。それより冷泉の良い部分だけ伸ばしていく仕組みづくりをしよう」(ヒゲ)

「つまり、どういうことですか」(MYO)

例えば、シチュエーション的には下記のとおりだとヒゲの男は説明する。

新規事業開始のプレスリリースを出して、取材がやってくるとする。お喜楽クラブの6名がまとまって取材を受けるのだが、船長の冷泉は最後まで言葉を発しない。インタビュー内容が仮に「ChatGPT」のことであれば、船大工でありAIに関して無尽蔵なる知識を持つムエタイ野口が全て受け答えする。

そして、ムエタイ野口は自分の発言の最後、こう付け加える。

「・・・ということですよね、冷泉さん」

冷泉は「そう」と答えるだけ。他のメンバーも「それはそういうことだ」という相槌を打つ。インタビュアー目線からみると冷泉を含めて6名全員がムエタイ野口と同量同質の知識を保有していると錯覚を起こしてしまう。単純だが効果的なレトリックであり、これだけでいいのだ。

これがチームビジネスの最も効果的な部分でもある。6名全員が知らなくても知っている1名だけがチームを代表して発信することで、それは個人のスキルのみならずチーム全体のスキルへと有効化される。「1」の力が「6」となるのはこういうことなのだ。

「でも、どうしてもインタビュアーが船長の冷泉さんだけの言質を取りに来た場合にはどうしますか」という鋭い質問が誰かからやってくる。

「余計なこと言わず、『喜楽!』とだけ言ってればいいんだよ」(ヒゲ)

「『喜楽』って何ですか?と訊かれたときは?」(コースケ)

「喜びましょう楽しみましょう、という意味ですと、答えます」(冷泉)

これには一同が爆笑であった。どのインタビュー記事を読んでも冷泉の発言は『喜楽』のみであることを想像すると可笑しくて腹が痛い。

ヒゲの男はイメージする。

自分が出張のため飛行機に搭乗して、前の座席に挟んである機内雑誌を手に取る。全国各地の観光スポット案内やエッセーやいろいろな記事があるなかのビジネス記事に『喜楽』としか言わない冷泉の記事があれば、こっそりとそのページに折り目を付けるだろう。

誰のために何のために機内雑誌の冷泉のページに折り目を付けるのか説明はつかないが、きっとそうするだろう。

事業が伸長しているときは株主総会においてもステークホルダーに対して『喜楽!』としか言わない冷泉だが、株価が下がり出すと唐突に真面目なことを話しだすことで「あ、この冷泉代表はしっかりと考えている人なんだ」と、ステークホルダーたちは感じることとなり、その期待値に比例して株価を上げる。2回くらいは使える手であろうことを皆で話し合う。

全員で笑ったあと、一瞬シーンとなり、冷泉がボソっと喋る。

――『喜楽』ばかりじゃ飽きられませんかね?——

ヒゲの男は、飽きられないように『喜楽』という言葉を聞けただけでも奇跡的だという存在に冷泉(加藤利彦)自身がなれば良いのではと、勝手なことを語る。

例えば、周囲の皆が冷泉のことをただの「加藤 利彦」として認識・認知しているのと、「15代目 加藤 利彦」として認識・認知しているのでは同じ言葉を発信したとしても雰囲気が違うということをヒゲの男は説明する。

「確かに15代目っていうのは、語呂もいいですし、日本人として凄く奥深いこと言いそうだと聴き手側が勝手にイメージしちゃいますね」(MYO)

15代目というパワーワードの付加価値について全員で笑いあう。自分がいじられているのに、ケラケラと笑いながらヒゲの男に近寄ってくる冷泉がその重厚な鉄の扉を開けるように、口を開く。

「僕は、何の、15代目、ということですか」

「カンタンだよ。加藤利彦から遡ること15代前の人から数えて、15代目だということで間違いない。喜楽!と言えばいいんだ」とヒゲの男は言う。

「そんなの誰でも誰かの15代目じゃないですか!」(ムエタイ野口)

「そこですかさず相手の目をジッと見て、『喜楽』と言うんだ。これは相当深いよ、相手の心象にいつまでも残ることでしょう」(ヒゲ)

そこからは森羅万象、あらゆるシーンにおいて「15代目加藤利彦」を使用したロープレを検討してみるが、そのどれもが奇跡的に面白く愉快である。

結論から申し上げますと、『15代目 加藤利彦』は即日却下された。


5月15日 (水) ——。

昼過ぎ14時半頃、会社の経理部門から内線が入る。

「阿守さん、会長からお電話です」とのことなので電話を取る。

会長というのはヒゲの男が所属する会社の創業者であり、90才の老人だ。電話の内容についてはまとめると次のようになる。

重要な話しがあるので、梅田の阪急百貨店内1Fフロアのコンシェルジュ前まで【16時00分】に来るように

承りましたと返答をして電話を切る。すると5分後にまた経理担当者が直接ヒゲの男の席までやってきて、「阿守さん、会長からまたお電話です」と言う。この会長というのは、もちろん先ほど電話をかけてきた会長と同一人物であることは間違いないと思った。電話の内容についてはまとめると次のようになる。

重要な話しがあるので、梅田の阪急百貨店内1Fフロアのコンシェルジュ前まで【15時45分】に来るように

承りましたと返答をして電話を切る。さらに5分後、会長から電話がかかってきたというので、受話器をまた取る。電話の内容についてはまとめると次のようになる。

重要な話しがあるので、阪急百貨店12Fにある「銀座アスター」まで【今すぐ】来るように

それが命令の最終形態だと考えたヒゲの男は、次の電話を取らなくてもいいようにサッサと会社を出て、招集された場所へ向かう。

会長のシュクゾウは百貨店の12Fのエレベータ前でヒゲの男の到着を待っており、「これ、食うか」と銀座アスターの炒飯をお土産にくれる。そのまま12Fのカフェに入り、シュクゾウの重要な話しを聞く。話しの内容についてはまとめると次のようになる。

・慶応義塾大学在学中のシュクゾウは作家志望であり、ライバルは石原慎太郎だった
・三島由紀夫から励まされた
・岩波文庫でアルバイトしていた
・戦後20年は物資もなかった
・ハッタリはアカン
・ロマンティックであれ

当日のヒゲの男のメモより

永遠に続きそうであったモノローグを聞かされた後、シュクゾウは唐突にイチゴパフェを頬張るヒゲの男に向けて、優しくも真っ直ぐな目で衝撃的な言葉を発する。

「さて、キミが僕をここに呼び出した訳だが、そこまでしてでも、僕から聞きたかったことは全て聞けたかね?」

えっ!呼んでへんし、無茶苦茶やん。


5月16日 (木) ——。

取材のため単身で山口県岩国市へ向かう。撮影班より一足先に入り、現地リサーチをする。岩国は水がおいしい、風呂に入るとミネラルウォーターに入っているようで、もったいなかった。


5月17日 (金) ——。

取材当日。快晴で風も気持ちよい。

「詐欺師っぽいよ」と評判のある外部のプロデューサーと合流する。それらの風評は余計な予備知識であった、このプロデューサーは核心に触れることができる優秀な人材だと確信した。それが詐欺師に見えてしまう、うちの営業担当の感度の低さには心底、失望する。

帰りは新岩国駅から新幹線に乗る。新岩国は「こだま」くらいしか停車しないため、撮影ディレクターのヒダ君とアシスタントのナッシーは広島で「のぞみ」に乗り換えるが、ヒゲの男はどうするのか?と聞いてくる。

「乗り換えるのが面倒くさいし、こだまは空いてるだろうから、僕は終点の新大阪までこだまでいいよ」と面倒くさそうに答えるヒゲの男。

「アモさん、今年の3月より新幹線内から喫煙室が消えたのは知ってます」と、ヒダ君は世の中がヒゲの男にとって非常に困難な状況になっていることを教えてくれる。

最終的な決め手となったのは、新岩国駅から「こだま」に3名で乗り込んだ際での、車内アナウンスだった。

♪「間もなく広島駅に到着いたします。次の広島駅を出ると、次は東広島駅に到着します」と流れた瞬間。「広島を出てもまだ広島は続くのか!結局、広島から出れていないじゃないか」とヒゲの男はヒダ君に向かって叫び、こりゃたまらんと「こだま」から「のぞみ」に方針を切り替えた。


5月18日 (土) ——。

ショパンの「華麗なる大円舞曲」を娘が自宅のアップライトピアノで弾いている。ヒゲの男はピアノのある部屋に行き、黙って聞いている。ちょっと何か手伝いたくなり、譜面めくりを手伝う。全て弾き終わったあと彼女に対して初めて音楽のアドバイスをしてみる。

「楽想が曖昧なところがあるね、曲の中にある問いかけと回答を整理整頓していこうか。例えば、冒頭はショパン自身が素敵な女性に出会ったときの第一印象だとする。繰り返し記号があるけれど、ここは単純な繰り返しではなく、彼女のそばにいることで初めて知った、妙なクセや外見や内面の不具合など深掘りされた表現と捉えてみたらどうかな」(ヒゲ)

娘はアドバイスを受けてかどうかわからないが、表現を変えて改めて弾く、非常に良い。

「曲の最後の部分における解釈がわからん」と娘は問うてくる。

「これは、音楽的な意味はないよ。ステージにおける演出面での効果を狙ったアッチェレランドだよ。ショパンの時代は録音技術もなかったから、一期一会の精神が強く、コンサートを聴きにきた人たちに対して『いよいよ終わりますよ!』というアピールが必要だったんだ。つまり、お客さんが拍手しやすい状況を作り出すための演出効果を狙った旋律だと感じる。ここの旋律に関しては楽想を深く考えるのは無意味で、ピアニストがコンサート会場を圧倒的に制するよう演出してやればいい。この辺の表現の田舎者っぽこそが、ショパンがショパンたる所以だね」

なるほどと彼女が感じたのかどうかわからないが、改めて彼女によって弾かれた終結部は聴いていて楽しいものになった。彼女も楽しくなってきたのだろうか、曲を変えてきた。

「ベートーベンのピアノソナタ第8番『悲愴』の2楽章はどういうアプローチにすればいい」(娘)

「ベートーベンが悲愴を作曲したのは、彼が28才くらいの頃だったと思う。すでにその頃には音楽家としては致命的な難聴に陥っていたと言われてる。彼が辿った道を同じように辿ってみよう、一旦、アップライトピアノの弱音ペダルを踏んで演奏してみて」

弱音ペダルを踏まれて、フェルトに押しつぶされたようなピアノの音になったが、しっかりと鍵盤に指を押し込むようにして、奏でられる和音。作曲者はこれくらいしか聴こえなかったのでは、そして、これは夜に作曲されたのかなとか思う。本来の自分とこうあるべき自分が、美しい和音のなかで、ゆっくりと乖離していく。

これまで娘に対して音楽的な助言を与えることは一切なかった。しないように努めていたこともある、先生と父親の助言にギャップ差が生じるとそれは子供である彼女にとってタイミング的に良くないような気がしていたからだ。

しかし、今は高校生になったので1つの事象において多様性のある意見が存在し、それらをいかに自分の中に落とし込んで、具現化していくのかという段階になったと感じたので伝えた。

来年の発表会では、ラフマニノフに着手するかも知れないという娘。「ホントはショパンを弾きたいねんけど、先生がまだ表現するには早すぎるからって、ラフマニノフにしようかなと考えてる」と娘は教えてくれた。

「ショパンは難しいから、代案でラフマニノフなら」っていう先生のぶっ飛んでる感性も独特やなと嬉しくなった。


5月19日 (日) ——。

前々日の取材において軽い熱中症となったため、死んでた。

ヒゲの男が冷泉と一緒に取り組んでいる大規模プロジェクトがある。官公庁関連の仕事ということもあり、より専門的な知識が必要だと考えて、「もしかして」と閃いたので豚王に連絡をしてみる。

これこれこういう案件を扱ったことがありますか?との問いに豚王から返答があった。

くさるほどやってます

豚王とのLINEより

閃きは正しかったようなので、アドバイザーとして参画してもらうことになった。


5月20日 (月) ——。

新品のフライパンを買った。試しに餃子を焼いてみたところ、油を敷かずともツルっと羽根つき餃子が皿に舞い降りた。



5月21日 (火) ——。

いつもより3時間ほど早起きして、技術研究所へ向かう。カメラマンに20年来の友人であるバロン松下を起用しての現場だった。アシスタントが元警察官ということもあり、SP感がハンパなかった。

警察学校にて訓練を受けた彼は「どんな現場であったとしても、自分の体重の2倍までの相手であれば、押さえ込んで無力化することができます」と淡々とした口調で語るアシスタントカメラマン。彼は一体どんな現場を想像しているのだろうと興味が沸いた。

そして、彼がカメラの前に座り、イヤホンを耳に入れ、ディレクションモニター越しに現場チェックしている姿は、まさにテレビで観たことのある「張り込み」の姿勢そのままだったため吹き出してしまった。

その間、ヒゲの男とバロン松下は別室で昔話に花を咲かせていた。

今後は、バロン松下と共同で本プロジェクトを推進していくことにした。

夜——。

冷泉と官公庁案件の打ち合わせを兼ね広島焼きを食べに行った。その後、システムエンジニアの自由研究さんも加わり、場所を天神橋筋五丁目から梅田に変える。

ふと、LINEを見てみると娘からメッセージが届いている。

「家出をした」とのことだった。

ヒゲの男は冷泉と自由研究さんと店を出て、大急ぎでタクシーに乗り込み、23時過ぎのミナミへ向かう。娘がいるという場所に到着したとき、タクシーの会計がすでに終わっていたのでヒゲの男は驚いて冷泉の方を見る。

冷泉は一言。

「阿守さん、タクシー代を払っている、時間が惜しい。早く娘さんのところ、行ってください」

この男のすることに、感動して全身鳥肌が立った。

娘は大きなリュックを持ったまま無事にそこでヒゲの男を待っていた。ヒゲの男は娘のリュックを持ち、自転車を押しながら後ろをついてくる娘に「伝えたいことが2つだけある」という。

①:家出しても良いが、家出したときに行くべき場所はオレがこれから指定したところにして欲しい。ヒゲの男は桜川のバー『SWOON』を指定するが、あいにくこの日は閉まっていた。

②:家出の連絡をくれたことに、感謝している。自分の人生において最も大切にしているものを危うく失うところだった。と伝える。彼女が無事であったことを神に感謝した。

それ以外は特に何もない。

冷泉はいつしか風のように消え、23才の自由研究がヒゲの娘と話しをする。夜道を歩きながら、彼女たちは初対面なのに元々知っているもの同士のようにいろんな話しをする。学校のこと、進学のこと、家のこと、恋のこと、音楽のこと、面倒くさいこと、友人のこと、いろんなこと。いろんなこと。いろんなこと。

「自分にとって思い出のある場所に行こう」とヒゲの男は新たにタクシーを捕まえて3人で南堀江にあるワインバー『ペソア』へ向かう。まだまだ娘が小さかった折、「バーと言うところに行ってみたい」と懇願する娘を連れてきたのがここだった。10年近く前の話し。

彼女たちは深夜にも関わらず、ずっと話しをしている。ヒゲの男は同席しているものの、何も言わずにブルガリア産のフルーティーな味わい香る白ワインを楽しみながら、タバコを吸っていた。自由研究はヒゲの男と喋るときとは異なるフォントで娘と喋っている。こちらの方が地なんだなと率直に感じたし、その自然体の振る舞いは娘の気持ちを大いに引き出すことに成功していた。

ここへ連れてきたときの小さかった頃の娘を思い出していた。変わるものと変わらないもの、その境界線のおぼろげなる輪郭に神秘を感じていた。

以前と変わらない店。成長する娘。そして何より。

『ペソア』の主人が以前と同一人物ではあるのだが、長い年月の間に性別が変わっていたことには、度肝を抜かれた。

ああ、みんなで必死に生きている。

ロバと王様とわたし
明日はみんな死ぬ

ロバは飢えて
王様は退屈で
わたしは恋で

時は5月

ジャック・プレヴェール『詩集』より抜粋


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