アユミ20歳


娘が
来月5月、ハタチになる。
早い。
いつのまにか、
もう20年も経っていた。
娘が産まれてくる時、
ワタシは24歳だった。
(25になる歳だったが)
初めての妊娠、出産でたくさんワクワクドキドキしたんだ。
妊娠がわかり、
妊娠中も、
ラテンのバンド→オルケスタデルソル
ワールドミュージックバンド→本田竹広ピュア
ワールドミュージックバンド→今出宏エプロンズ
を掛け持ちしていたワタシ。
お腹が大きくなってもステージをこなしていた。
そんな中、胎盤の位置がおかしな場所にあり(医学的に)全全置胎盤という胎盤が子宮出口を塞いでしまっていたため、医師の判断で帝王切開に。
先に胎児が出てきてはいけないらしく、
多胎(双子)の方達と同じ措置を取るため、帝王切開手術日の2ヶ月前から入院した。
入院中、すごく暇だった。
初めての入院はいきなり手首と足首に名前とカルテNo.が刻まれた腕輪をさせられ初日は刑務所に入れられたような気分で思わず泣いたのを覚えている。
もしも、手術中、大量出血🩸があれば命が母子共に危険だと告げられ自己血輸血(手術日から遡って約1ヶ月の自分の新鮮な血を採取しておく方法)をするために、毎日鉄剤を飲み、毎週200ml保存する。
そうして、手術当日、脊髄麻酔(めっちゃ太い針)を腰に打ち、いざ帝王切開。手術中BGM選べると言われてガムラン流してくれと頼んだが流れなかった。手術中、麻酔で痛みはないが、感覚はある。

子宮から、娘がグリっと取り出され無事産まれてきた感覚もあった。鳴き声を聴き、ワタシが涙🥲し、
保育器の中に銀紙みたいなやつに包まれて箱に入っていたのを観て、ホッとして息が苦しくなり気絶したなぁ、、。
気がついたら病室だった。
娘は、全然泣かない子だった。
とっても静かで、4人部屋だったし
他の3人は、みんな双子。だから、ウチらの病室は全員で11人も居たなw(多い)←まあ、何日かは、赤ちゃんの部屋に居るから、居ないがw
ここからが地獄だった。傷口がまず痛い!すげ〜痛い!(先日の手術もだ!)
両足には肺塞栓を防ぐための脚をグォングォンマッサージする機械を巻かれている。
お通じが出そうになるのは腹圧をかけ傷口が裂けるような痛みと闘う事になるから、ご飯を食べるのが怖かった。出産してすぐ13キロも痩せた(胎児量5,6キロかな羊水含めて)。
そして、看護師が早く廊下を歩いてくださいと言う。
3,4日経った日、病院の浴室で、思いついた名前を
つけた。カタカナで。
名前負けしない顔で良かったw
名前の影響で、お父さんは外国人かな?とよく聞かれるんだが、違いますー

胎児から、赤ちゃん、幼児、小学生、中学生、高校生、そして今は大学生。

私達の都合で、色々経験させてしまったけれど、
心から愛してる。
産まれた時から、何があってもワタシが守ると決めた
子ども。
娘。

ワタシのこの世に生きた功績が、
来月ハタチになる。

いまは、わけあってそばには居ないけど、
ワタシの心はずっとそばにいる。

かけがえのない生き物。
ワタシを母にしてくれて、ありがとう。

アユミ、母になり20歳を前に。

まだまだ健やかに!

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