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『帰れない山』

世界的なベストセラーだという原作は未読。舞台となったValle d'Aostaヴァッレ・ダオスタ州は数年前の夏に訪れたことがある。(トップ画像はその時のもの)山の緑や空の青は美しく、さわやかな空気や川の水の冷たさが心地よい、避暑地としては素晴らしいところだった。都会に住むイタリア人がバカンスを過ごす気持ちも分かった気がしたものだ。
(以下ネタバレ有)



確かに美しいけれど、厳しい。それが見終えたときに一番に浮かんだことだった。

主人公ピエトロは山で夏を過ごすが、父はトリノに残って仕事をし、短い夏休みの間だけやってくる。数日の休みに無理やり遠出するのが日本のサラリーマンのようで、商工業の中心である北イタリアでも珍しいことではないのだろう。都会に馴染めていない息子のために山の家を借り(買ったのかも?)、休暇が取れたら飛んできて山登りをする。息子が一緒に登りたいといった時の、ちょっと驚いたような、でも嬉しさがにじんでいるような表情が良かった。

日本のサラリーマン的な働き方をし、激しい感情表現もないピエトロの父がこの映画の登場人物の中で一番共感できた。エンジニアとして仕事に追われつつも山への思いも忘れない、そんな生き方だってよいではないか。しかし、息子は「父さんみたいにはなりたくない」と彼を全否定する。彼の救いはあの夏の家で息子が友達になったブルーノ。山で暮らす彼と夏には一緒にピエトロとは行けなかった山々を登る。

ピエトロの父が終の棲家として選んだ場所は人里離れた山の中。本心ではトリノの喧騒から離れたかったのだろう。廃墟でしかないその元・山小屋をブルーノとコツコツ修繕していくのが楽しみだったに違いない。

結局父は急逝し、廃墟だけが残された。ピエトロとブルーノは、壁に石を積み、屋根をかけ、小川で発電機をつくって廃墟を山小屋へ生まれ変わらせる。美しいモンテ・ローザを背景に、一心に遊んでいたかつての夏休みを取り戻したようだった。ブルーノは牧場を経営する夢を語り、恋をする。ピエトロは父とブルーノが登った山に挑戦することで父と和解し、新たな自分の居場所を求めて旅に出、ネパールにたどり着く。(欧米の若者、自分探しにネパールやインドに行きがち、と思うのは偏見でしょうか)

ここまでなら美しい物語。でも夏休みはいつか終わり、現実と立ち向かう時間がやってくる。ブルーノの牧場は経営に行き詰まり、家族も夢も失う。現代において山と共に暮らすことの難しさがリアルで、胸が苦しくなる。アグリツーリズモとして観光を兼ねるか、機械化を受け入れて効率化を図るか、そのどちらもブルーノの矜持を傷つけるものでしかなかった。彼が最後に選んだのは、ピエトロがかつて語ったネパールの鳥葬。2人で作った山小屋は再び廃墟に戻る。

ピエトロがネパールで知った話として須弥山と周りの8つの山の話を披露しており、タイトル(イタリア語の原題はLe Otto Montagneにつながっている。最も高い須弥山に上るのがブルーノ、周りの8つをめぐるのがピエトロ、と説いていた。2人の生き方の違いや距離を感じる。山の美しさ・厳しさがそのまま人生に当てはまる。


鑑賞日:2023/5/12

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