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リーガ勢CL解剖・バルサ対PSG:王の時代の終焉

ホームでユベントスに敗北し、カンプノウでのCL連勝記録が途切れたバルセロナ。ネイマール、ディ・マリアを欠くパリをホームに迎え入れ、絶対に負けられない一戦に挑む。

しかしこの日のカンプノウには奇跡の大逆転を見せたようなあの頃の強さはもうなかった。前に出ていくもプレスは嵌らず、時にボールを持たされてほとんどまともなチャンスを作れなかった。11人と11人が全力で常にぶつかり合う時代において、1人が欠けている状態での限界を示した。

ストーミングプランの欠如

開始直後から、バルセロナはその脆さを垣間見せました。バルサの両CBは世界最高レベルの舞台でははっきり言って鈍足ですので、ハイラインを敷くのならば中盤で自由を与えてはいけません。裏にスペースがある状態でヨーイドンを仕掛けられたら運が良くなきゃ負けます。出所をつぶさなくてはなりませんが、早速中盤で起点を作られました。

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ナバスからフロレンツィへボールが入ります。そこからブスケツの脇のスペースに入ったヴェラッティを経由してムバッペとのヨーイドン。開始からあわやという場面でした。

メッシがマルキーニョスを切りながらプレッシャーに行ったのにも関わらず、グリーズマンはフロレンツィにハッキリつけませんでした。デンベレの背中を突かれるのならまだしも、メッシがCBを切れたほうのサイドでこのようなパスを通されると、当然人数が足りなくなります。逆サイドではデストがクルザワも遠巻きに監視しなくてはならず、ピケもそちらをカバーせざるを得ません。同じようにアルバが出て行ってラングレがスライドすることはできないので、グリーズマンはフロレンツィのマークを最優先で行う必要がありました。

この場面はメッシがもうひと寄せしてナバスを追い詰めるか、グリーズマンがはっきりフロレンツィにつくかどちらかの行動を行う必要がありました。恐らくあまり決め事がなく、お互いの顔色をうかがいながらの守備なのでしょう。守備面で頼れる個がないバルセロナがこのようなあいまいさを出すと一瞬で勝負に持ち込まれてしまうというのがはっきり出てしまった場面ですね。

ボール保持タクティクス×守備のタクティクス

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続いてボール保持時の形の問題。この試合のバルセロナは2CBの距離が近い時間が目立ちました。中央に近い距離で2人が並び、角度が作れないのでSBが押し上げられません。アルバとの間にメッシが下りてきたりするものの、やはり問題は解決せず。特にデストの位置が低くて相手の中盤ラインを越えられません。普段のようにブスケツが2CBの間に降りてビルドアップするダウンスリーをこの試合ではあまり見かけなかったのも気になりますが、恐らくそれにはブスケツの守備タスクが関係しています。

この試合のブスケツは、バックラインの手前のスペースを空けて出ていくシーンが目立ちました。恐らくパルデスのマークを意識していたのでしょうが、パルデスは時に大きく距離を取るなど逃げ回りつつ、ブスケツを引き出しました。なので恐らく、バックラインに吸収されてパルデスを自由にさせるのを嫌がり、このような問題が生まれたのでしょう。しかしながら、この問題はパリのボール保持を自由にさせてしまう問題も与えました。

相手のミスと相手の不幸という二重の偶然が重なった先制点をものにしましたが、あっさりと同点ゴールを許してしまった背景にはブスケツの前がかりな守備も原因の一端を担っていました。

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というのも、この試合のバルセロナは基本的にボールにプレッシャーがぼかかりません。パリはミドルサードでもほぼノープレッシャーで右へ左へとボールを回せました。

パリのバックラインに障壁が一切ないことが大きな理由でしょう。メッシが守備をしないのでバックラインはドフリー、ボールを奪われる危険性がないためSBによって自由にアップダウンを繰り返され、グリーズマンはほぼマンツーマンで対応。バックラインに吸収されます。バックラインはさらにフリーになってしまいました。

そして逆サイドのデンベレはというと、これまた上がってくるクルザワと下がっていくパルデスの間で混乱します。例えばこのシーンならばマルキーニョスから直通でパルデスにボールが渡る可能性も高いので、デンベレは簡単にクルザワについていくわけにもいきません。キンペンベのマークにメッシが立っているだけでも違ったでしょうが、残念ながらメッシは守備をする気がありませんでした。

ところで451の場合、大外のSBに対応する手段というのは2通りあります。前を1トップに任せてWGが撤退して対応する方法、SBが大外を監視しに行き、CBがそれに合わせてスライド。アンカーがバックラインに吸収されてそのカバーをする方法です。

しかしながら前述のとおり、ブスケツが前に出ておりバックラインのカバーに入るのは不可能ですし、グリーズマンが逆サイドでバックラインに吸収されている以上デンベレはバックラインに吸収されるわけにはいきません。中盤が3枚になってパルデスに自由にボールを持たれ、ムバッペ・クルザワという2つの選択肢を作られるよりは、クルザワに誘導する方が賢明だったでしょう。いずれにせよ、これはメッシがいないことが大本の原因で起きた問題です。攻撃で相手の危険なポジションに留まれないだけでなく、守備でも何のタスクも負えない選手を抱えて戦えるほど、現在バルサの個は秀でていません。

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 そしてパリの追加点。デンベレを戻らせて解決する問題でもないですが、兎に角両WGを戻らせて6バックを形成。メッシを引いて63ブロックではもう遊んでいるようなもので、集中が切れたところをぶち抜かれました。WGの選手がバックラインに吸収され、バックラインの穴になったところで瞬間的に裏を取られて失点する。いつかのクラシコでも見たパターンですね。

こうなってはどうしようもないのでボールにプレッシャーをかけなければならない、というのが現代サッカーの流れですが、メッシのいるチームでは可能とは言い難いでしょう。

王・そして神の時代の終焉

チームによって差はありけりですが、近年のサッカーではポゼッションの波が押し寄せてからカウンターが隆盛し、カウンターサッカーが守備のために「ゴール前にバスを停める」戦術を崩すためのポジショナルプレーが登場しました。いわゆる5レーンを使ったサッカーの登場で、バスを停めても相手を自由にさせては耐えられなくなったので、前線からボールにプレスをする発想からストーミングの時代へ。現在はポジショナルプレーとストーミングを駆使したサッカーが世界の頂点にいます。

私がこの試合を見て感じたのは、バルセロナは時代に取り残されているということです。ストーミングのプランもはっきりしないしゴール前にパスも止められない。それだけでなく効果的なボール保持もできていませんでした。11人が適切なプランで走りまくらないと勝てない時代において、メッシの力で勝てると考えるのは正直言ってフットボールを舐めてると言わざるを得ないでしょう。これからもメッシを使い続けたいのなら、2人分の守備ができる選手とそのための絶妙な守備プランを組める監督を連れてくるという努力をしなくてはならないでしょう。それでようやくスタートラインに立つといえるのではないでしょうか。

私はこの流れがをサッカーの広義の近代化と感じます。ストーミングやポジショナルプレーの登場は、さながら神話の時代・前近代の宗教的世界観に別れを告げ、近代の物質的・科学的な文明社会への移り変わりと全く同じ様相を呈しています。

だからこそここで、神は死んだと言いたいと思います。新たに求められるのはチームの一員としてプレーする人の域の留まるプレーヤーであり、クラックであっても神になってはいけません。

新時代の超人はすぐそこまで来ています。あの日皆さんが目撃したのは、バルセロナの王様・神に王権を授けられた神の子の時代の終焉に他ならないのです。

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