見出し画像

悲願だった 『流転の海』読了

「今年は本を読むぞ」と決めてから、決めていたことがあった。
それは、宮本輝氏の『流転の海』シリーズを読み切ること。

流転の海 第五部 花の回廊
流転の海 第六部 慈雨の音
流転の海 第七部 満月の道
流転の海 第八部 長流の畔
流転の海 第九部 野の春

半年かかったが、宣言通り未読だった五部以降を読み終えた。
そして、しばし放心した。

待つ価値がある長さだった

流転の海シリーズを初めて読んだのは10代後半だった。
人生とは何なのか?家族とは何なのか?なんて考えたこともない若い頃。
50歳で子を持った松坂熊吾の心など想像すらできなかった。
「お父さんが高齢かー。参観日にちょっと恥ずかしいやつかな」くらい。
完全に息子(伸仁)側の人間。
当時の私にとって『流転の海』は、遠い世界の話だった。

それから20年以上。
第四部までは、友人と「続刊まだかな」「初期の登場人物忘れたよね」等を
話していたが、いつの間にかその会話もなくなった。
当時の想像以上に物語の完結には長くかかったからだ。

それも当然。人生にはそのくらいの重量があったのだ。

第一部で生まれた伸仁は、南宇和や富山、尼崎と様々な場所で様々な人に出会い成長し、時には恋をして最終巻で父を看取った。
父である熊吾は数多の事業を立ち上げ、軌道に乗せては頓挫し、家族は途中で壊れかけるも、誓い通り息子の成人を見届けた。
それらに伴走する房江の葛藤と時代の激動。
父子が20歳になるまでの様々は、まさに流転だった。

自身が熊吾の年齢に近づいて思うこと

物語は完結まで37年をかけて紡がれたが、読む側の私も20年以上年を取り、父子の人生の一端を理解できるくらいには大人になった。
熊吾と同じく子を持ち、その子が健やかに育つことを願っている。

学生だった私に伝えたい

あなたが読み始めたその物語は数十年の時を経て、堂々と完結する。
あなたはこの物語を読み終えるまでに、大学を卒業し社会に出て結婚して子どもを産み、その子を小学校に入れている。
文庫本を買ったその書店は数年後になくなる、新潮文庫「Yonda?」は終わってしまうし育った街は隣の市と統合される。
人生は長く、使い古された言葉だが 語るに値する。松坂熊吾、伸仁の人生も。私や息子の人生も。

おそらく私は息子が成人したときに、この物語を読み返す。
そのときに、熊吾ほどでなくても様々なことに挑戦しやり切ったと言える人生でありたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?