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創作小説『狗たちの一生』

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約1万文字の創作短編小説。2022年、ある文学賞に応募するために書いたものです。
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【創作小説】狗たちの一生(後編)

 とはいえ、ここへ来るのにずいぶんと勇気がいった。ようやく息子が通う高校にたどり着いたというのに、私は当の息子を見つけられずにいた。  待ち合わせ時間が迫ってきて、私はいっこうに落ち着かず弱気に笑ってみせたり校舎の方をうかがったりしていたが、上手いとは言いがたい管楽器の音色が流れてくるばかりで、息子らしい少年は現れない。  無理もなかった。私はこの十五年間、一度も息子に会ったことはない。蓉子と臨に関わらないことは唯一の離婚の条件で、むろん私は経済的な援助を申し出たが、それは

【創作小説】狗たちの一生(前編)

 受話器を取った瞬間、向こう側に別れた妻がいるのだと分かった。だから私は言った。 「蓉子なのか?」  彼女は一瞬沈黙し、そして自嘲気味に小さく笑った。 「そうよ、私。あなた、相変わらず鋭いのね。鼻がよく利くというか、何というか」 「鼻は君らと変わらないじゃないか」  とっさに答えてしまってから、私は口をつぐんだ。彼女が苛立っているのが分かった。そうよ、あなたはいつも何かに怯えて身構えているせいで、冗談の一つも理解する余裕がないのよ、と。  私たちは十五年前に別れたきり一度も