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二宮尊徳を学ぶ #1

僕が社会人になってからその偉業を知り
大好きになった「報徳思想」の祖、二宮尊徳。

小さい頃の名前は「二宮金次郎」。
よく小学校の校庭に薪を背負って歩きながら勉強している銅像。
学校の怪談でも、夜な夜な銅像が歩き出すといったイメージがある。
あの少年が後に大きくなり、「二宮尊徳」となる訳ですが、

そんな二宮尊徳(二宮金次郎)の論語の解釈が秀逸です。

二宮尊徳は、

”己に如かざる者を友とすることなかれ”(「論語」)
善を求め道を修め、みずからを向上させるためには、自分より劣る者と交わってはならない。

論語

要するに、自分を成長させたかったら、自分より劣る人とは付き合ってはいけないよ。
ということを言っているわけです。

でも、二宮尊徳はこの論語の一節を

人には長所も短所もどちらもあるのだから
その人の長所をみて、短所は短所として受け入れて
付き合いなさい

と言っています。

ついつい人は、相手の短所や嫌なところに目が行きがちです。
特に、長いこと一緒にいる場合、
夫婦生活が長いケースであれば、
相手の嫌なところがばかり目がいきます。

そして、嫌になればなるほど
会話も少なくなっていきます。

ファミレスに行くと
他のテーブルの夫婦が
一言も会話せずに
お互いスマホをいじりながら
食事をしているシーンを目にします。


きっと「会話すれば喧嘩するだけだし」
と、お互いに思っているのでしょう。
そんな状態であれば、
パートナーと一緒にいても
自分の成長なんて1ミリも感じません。

だったらそんな人とは付き合わない方が良い。
というのが

論語の一般的な解釈です。

でも、尊徳は違います。

そんな相手の嫌なところも、
「そういうもんだ!」と受け入れて
良いところを見なさいというのです。

それが人の道だと。

報徳思想は、
一つのものごとを捉えるときに
そのものの両極(対極)を捉えること
常としています。

人であれば
その人の両極(対極)
つまり
長所や短所の二面性を
意識する。

ということです。

なので、
相手の嫌なところばかりみるのではなく、
良いところにも目を向けなさい
というのです。

そんなの
当たり前のことじゃん
と思っても

いざ、本人を目の当たりにすると
できないのが人間です。

でもそれをやっていくのが
人の道なんじゃないかと僕は思っています。

難しい方を「あえて」行く
困難が人を成長させる

そんな風に思っています。

楽するべきところは楽するけど
苦労するところは苦労しても良いんじゃないかと

そんな風に思います。

苦労は無駄じゃないし
それがその人の輝きや味になる
どんな石ころだって磨けば輝くんですよね。

最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは。


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