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「実家が太い」だけの私


昔から本を読むのが好きだった 
お金があるから本が買えた
「本は新品で買うもの」だと思っていた

俗に言う「実家が太い」私。正確に言うと母の実家だが、私も十分に恩恵を受けてきた

もし実家が太くなければ

私の両親は背負った借金を返せないまま一家心中でもしていたかもしれない
離婚してシングルマザーになった母はどうにも生活が立ち行かなくなって私と兄どちらか、あるいは2人ともを手放さなければいけなくなっていたかもしれない

くも膜下出血で倒れてしまった母をまだ幼い兄妹は支え切れるはずもないので やっぱり一緒にはいられなかったかもしれない。

きっと高校にも通えなかった
お金がなくても努力で学ぶことを諦めない方々がいる事を私は知っているが
はたして同じことが自分にできただろうか

高校在学中は祖父の保険が満期になったと言うので孫たちに分け与えられたお金で好きに生活していた。朝ご飯はコンビニで、昼ご飯は学食、放課後は週4でスタバかファミレス。文房具や服、自分の生理用品に至るまで自分の口座から支払っていた。それで病気の後遺症を負った母に一切迷惑や世話をかけていない「つもり」になっていた


口座のお金は高校卒業頃には微々たるものになっていた

当時勉強が嫌で大学進学ではなく就職の道を選んだ
早々に一人暮らしを始めてまもなく自分の金銭感覚の狂いに気がついた

コンビニは高い
何も考えずに買い物を続けていたら1ヶ月後には食費が家賃を優に超えていた

新卒の安月給を出費が上回る生活は続きどれだけ自分が実家に生かされているか思い知った、1人ではこんなにも無力だ。


それでも身を削り働いた、仕事はキツかったが自分には合っていると感じていたし祖父母の家に行くたび、大学を中退しアルバイトとバンド活動に生きている兄と比べてお前はしっかり働いていて偉いと褒められ密かに優越感に浸っていた

でもきっと本当なら大学に行き、名のある企業に就職して欲しかったのかもしれない、一族の中で私達兄妹だけなのだ、大卒ではないのは。

公立の学校に通い、庶民感覚を身につけていたから親族の集まりではなんとなしに肩身が狭かった
母が病気をして働けなくなってから祖父母に毎月生活費や家賃を払ってもらっていたと言うのも大きな要因だったと思う。会う度会う度、祖母から「お母さんがこんなふうになってしまって可哀想」という言葉をかけられ、その横で涙する母を見てきた

こどもながらに心底腹立たしく思っていた

でも口答えはできない。この人たちがいなければ生活ができないから。
祖母も娘が可愛いからこそ、ここまでの援助をしているんだ。それも痛いほどわかっていたから
まだ10代だった私たち兄妹は「そんな事ないよ、私たちはしあわせだよ」と母の背中を撫でながら祖母に笑いかける、それしか出来なかった。


つづきます。






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