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私は、◯◯◯のヴァイオリニストで在りたい 8 ~ 音楽は「誰」に向けてするもの?3


音楽をする人自身が「音楽が大好きである精神を持ち続けること」。

前回の最後、そのように書きました。

それは必ずしも弾く音楽だけを指しているわけではありません。

私がそもそもどうして
こんなに音楽の歴史や世界の歴史、日本の歴史に関心があるか。

それは、人が関わってきてるからこそ、
音楽はこれまでずっと発展してきていると思うから。



究極いえば、原始人が叩くという動作に気づき、
音を出すことに関心を持ち始めたそんな大昔から


今のボカロや電子楽器で表現をする音楽に至るまでの全部が

音楽としての発展であり、全体的な流れじゃないのかと思うのです

まぁ、かなり大雑把な言い方かもしれませんが(笑)



クラシック音楽は、「再現音楽」とも言われています。

過去に書かれた作品の楽譜があって
それを元に現代の私たちが弾いています。

けれど、考えてみてください。

西洋で脈々と受け継がれてきた音楽。



様々な時代の作曲家が、様々な思惑を持ってして
音楽を生み出してきており

また、様々な演奏法、様々な個性を持った演奏家もいたわけで。



貴族のための娯楽作品として、依頼された作品を納品するために書いていた音楽と

自分の心の底から溢れ出てくる、書きたい音楽を書いたそんな作曲家の音楽とは

絶対違いがありますし


また、クリスチャンがいる教会で弾いていた音楽家と

王様や貴族に仕えるために弾いていた音楽家と

パガニーニみたく聴衆をアッと言わせる曲芸のような音楽を弾いていた音楽家


それら全部を同じでしょうか。そして、同じように弾いていいのかな、と。



一つの作品が
「どのような意図を持ってして」生み出され
「どのような時代背景で」演奏されていて
「どんな演奏法が好まれていたのか」

など、考えだすと

ややこしいかもしれません。

けれど、ここで私はついつい



「「「たまらなくおもしろいっ」」」



と、思ってしまうわけです。


こういうところで、
ただの音楽バカだと思うわけです。自分を。笑



もちろん、練習して上達するまで
楽器の世界は、時間がかかります。

時間と、労力と、お金と

それだけで考えたらなんとも、コスパの悪い世界、と
言われてしまってもおかしくないよな、とも思います。


生きていくために、金儲けするんなら、
もっと他に手段いくらでもあるだろう、と

言われても仕方ないかもしれません。

けれどですね、私は声を大にして言いたいんです。


音楽は、人類にとって必要だと。




それがクラシック音楽じゃないといけない、とか
そういうことを言ってるんではありません。


音楽は人
類が失ってはいけない
大切な表現の一つであり
コミュニケーションの一つであり

言語を超えて
職業を超えて
人種をも超えて
伝えることができる

本当にすごいツールなのだと思うんです。

それは、私の人生経験に基づいてでも、書いていることなのですが


生命を維持するだけであれば

食べ物や水さえあればいいのでしょう。


けれど、それだけで「人間らしさ」は果たして維持できるのでしょうか。

人間である、というのは、
ただ体を維持するだけの養分を与えてたらいいってもんじゃないはずです。

心にも、養分は必要なはず。

そして、私はその心にこそ、音楽が必要だ


そう考えているし、信じている人間なんです。



今はこのようなご時世。
音楽が人前でできない、そんな中で

いらないものだと切り捨てる人がいても仕方ないのかもしれません。
音楽家なんて必要ない

かわいそう、とまで中には音楽家に対してそんな風に思っている方もいるそうと聞きました。



けれど私は、一切そんなことは思っていません。

むしろ、自分の時代が来た、そのように感じているくらいです。

次回、
実際私が音楽家として
どのようにこれまで動いていたか、これから動いていきたいか


また、クラシック音楽を生業としている人間で
知名度がそこまでないという人が

どんな活動をしていくのが良いのか
広げ方は

思考は

「誰に向けて音楽をしているかの意識」について


私の経験と考えに
どんどん触れていきたいと思います。


ちなみに、おまけはまた次回、何か考えたいと思います❤️

もし気に入っていただけましたら、ぜひサポートお願いいたします♪ 横山亜美はこれからもずっと、音楽家として成長を続けていくという覚悟を持って活動し続けます^^