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私は、◯◯◯のヴァイオリニストで在りたい 7 ~ 音楽は「誰」に向けてするもの?2


今日でちょうど7日目、投稿し始めて1週間になります。
2000文字目安で書き続けているこのシリーズ、書けば書くほど私の頭の中が
いろんな情報で詰まっていることに気づかされます。

6パート目では、ほぼ音楽史的な話で終わってしまいましたが
今日は、サブタイトル回収に向けて書き進めていきたいと思います。


今日も私の歴史好き且つマニアック話が多めかと思いますが、気軽にお楽しみいただければ嬉しいです。


ようやくここで日本の話というところで、前回は終えてますので、その続き。前回まだの人は下からどうぞ。


イタリアでオペラが生まれ始めていた1600年の時
日本では何が起こって、日本人は何をしていたか。








答えは、関ヶ原の戦いが起こっていた。


そう、全力で合戦時代でした。



そして1615年に豊臣氏が滅び、
1639年にには完全に鎖国の歴史へ。


これによって、約200年海外との関係が断たれることとなりました。


ちょうど日本が鎖国した後のヨーロッパの音楽に関する歴史的な動きも興味深いんです。



弦楽器奏者的な観点での興味からいえば、



実は日本が鎖国をした数年後、あのストラディヴァリが1644年ごろ(諸説あり)に生まれています。
「ストラディヴァリウス」はストラディヴァリ父子3人が作った弦楽器のことを指しまして、
製作家本人のことを言う場合は、「ストラディヴァリ」と言うのが正しいんですね。プチ情報ですが。



もともと今のヴァイオリンの形の原型が出来上がったとされるのは1550年ごろ。
現存する最古のヴァイオリンは1565年製のニコロ・アマーティが作ったものとなりますが、絵画などには、前述の時期に、すでに今の形にそっくりなヴァイオリンが登場しているので、

その頃には私たちが今日見ているヴァイオリンの姿が存在していたんですね、なんとも歴史が深い…



で、日本です。



1550年の1年前の1549年、
フランシスコ・ザビエルがちょうど鹿児島に上陸しました。
キリスト教が伝来された記念すべき時にもなりますが、
ここで実はなんと、少しだけ西洋の弦楽器群が日本にも伝わっているんです。


鎖国をする前の織田信長が活躍をしていた時分は
ザビエルが来日した以降、その当時西洋ではやっていた音楽や楽器も次々と日本に持ち込まれており
日本国内でも演奏が行われていました。


実際に演奏をされていた場所は、今でいう神学校(セミナリオと言います)だったようです。
この施設は、1580年、信長の許可も得られた上で安土城下に建設されました。
もともと日本における布教活動のため、司祭・修道士を育成するためにという目的のために、
そして初等教育を行う場として、セミナリオは作られまして、
ここでは武士や身分の高い町人の子弟が通い、語学、
そして「音楽」も重要な教科の一つとして毎日のカリキュラムに取り入れられたそう。



当時使われた楽器として、小型チェンバロやリュート、ヴィオラ・ダ・ガンバ、リコーダー、ハープ、シャルマイ(ショーム=オーボエの前身)、オルガン等の記録が現在も残されています。



日本が初めて西洋音楽に触れた場としても、日本の音楽史としても、これはすごいことだと思うし、なによりロマンにしか思えません。
なにせ、あの信長もちょくちょく聴きに来ていたとのことなので、、、今日私たちが持つ信長のイメージ像に、あんまりないイメージと言いますか。笑



ただ、残念ながらその信長はのちに倒され、という歴史はみなさんご存知の通り。



一度は入って来ていた西洋音楽、文化に触れる機会は、
最終的に鎖国をきっかけに200年間は失われる訳ですね。



(ちなみに、この200年があることが、日本独自の文化の発展にもつながることにもなりましたから鎖国の歴史を否定しているとか、決してそういう話をしている訳ではありません。
この鎖国の歴史があるからこそ、「浮世絵」など世界に誇れる日本独自の芸術文化が発達したともいえるでしょう。)



そして、日本が鎖国した数年後。
1642年。


実はこの年、前回のパートの最後にご紹介したモンテヴェルディ作曲オペラ「ポッペアの戴冠」
あれが初めて上演された年なんです。

前回のおまけにて書いたことを読まれた方は、さらに笑えるのかもしれませんが、


日本でかたやキリスト教を広げるぞ!と信念もって動いていた方々もいれば
イタリアでは、めっちゃ人間関係が濃密なオペラが生み出されていたりするわけで


各地の人々の思惑を考えると、ついついニヤリとしてしまう私がいますし
ロマンしか感じないなぁ、とも思うのです。


さてさて思いの外、音楽史など、マニアック情報満載でしたから
「本シリーズのタイトルどこ行ってん」と読んでいる人は驚いたことと思います。

私もついついうっかりあれやこれやと書いてしまって反省なのですが...笑


けれど、読まれていていかがでしょうか。



へー、おもしろいな。



そのように思っていただけましたでしょうか?



いやきっと、



ひたすらにマニアックな内容を
ここまで読んでいるってことは、



きっと面白いと思って読んでくださっていると信じます。笑



けど
こんなにながながと書いたのも、理由があるからなんです。


何が言いたいのかというと



私 横山亜美は「音楽が好きすぎる」ということ



歴史のお話ひとつ見ていただければ、
おわかりいただけるのではないかと思いますが


日本と西洋とで起きていたことをこうして年代を比較して見ることで
新たに気づけることもあるのではないでしょうか。

そして、その当時の人々の思いなどを、憶測の域は出ないかもしれませんが、想像する楽しさ、これも大切だと思うんです。


聴く人の、想像力に訴えかけること。


まぁ、あとは単純に
「ね、ね!みんな、おもしろいよ、これ!」
て、お客さんに私が一番言いたいってのもあるんですが。笑


けれどこれらのアプローチが、

楽器に全く興味を持っていない人にとって
クラシック音楽へのきっかけがない人にとって

関心のきっかけにもなり得るのではないか。


私が、気軽にお聞きいただけるタイプのコンサートにおいて
曲目解説をいつも口頭で伝えようとしているのも


お客さんに「へ〜、おもしろい」と思ってもらいたいがため。


クラシック音楽の世界に、飛び込んでみたいと
思ってもらいたいがため、なんです。


私が思う音楽をする際の姿勢。


それは、


音楽をする人自身が「音楽が大好きである精神を持ち続けること」。


その精神を持ってして、という続きはまた次回。


このシリーズ初回から読みたいという方は下からどうぞ。

初回は、姉 横山令奈について触れる事からスタートしました。


それから、ちょっとお知らせ。

今週5月17日(日)に3年ぶりにグッと地球便に横山姉妹を取り上げていただきます。

クレモナでの姉が、ぐっさんと対談をついに果たしたとのことです♪ 過去の私の映像も登場する予定です。

関西エリアの方がご視聴いただけます。ぜひご覧くださいね。


さてあと2パートくらいで終えれそうな気がして来ました。

このシリーズ完結までもう少しお付き合いください。

もし気に入っていただけましたら、ぜひサポートお願いいたします♪ 横山亜美はこれからもずっと、音楽家として成長を続けていくという覚悟を持って活動し続けます^^