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私は、◯◯◯のヴァイオリニストで在りたい 6 ~ 音楽は「誰」に向けてするもの?


音楽は「誰に向けて」するものなのか。


前回は、ヨーロッパの文化をただそのまま持ち帰ることが、持ち帰っていることには繋がらないのではないか、言葉や様々な表現で伝える努力を必要なのではないか。

昨日は問題提起をして終えました。


そう書いている今の私ですが、2013年当時の自分自身はまだ、ただ演奏するだけではダメだと気づき始めたばかりの時で、思考を変えていこうと絶賛模索をしている時でした。今日のお話は、そんなあがいていた時の話にも重なります。


西洋 ヨーロッパと日本、どうしてこうもクラシック音楽に対するイメージや親近感に差があるのかなと、昔からよく思ったものです。というのも、私にとっては、そういうハードルを感じている人に対して「なんでだろ?」と不思議に思っていたからというのもありました。


なにせ、幼少の記憶のない頃から音楽一家にずっといたものですし、父や母、周りの生徒さんたちも含め、みんながヴァイオリンを弾いているものでしたから、音楽が生活の中にあること、クラシック音楽がない時がない生活、楽器を弾いている姿が普通に日常風景としてありました。(って、こんなこと書くとまた家庭環境が違うとか言われちゃうんやろうか…笑)


そんな家庭環境を飛び出して、小学校に通い出し、それをきっかけに友達の家に遊びに行き出し、そこにヴァイオリンどころか弦楽器がないのがむしろ当たり前であることを知った私は、小学生当時相当なカルチャーショックを受けました。

私にとって「近くにあるもの」が、私の周りの多くの人にとっては「遠くにあるもの」であると認識されている。

今思えば幼い頃からその感覚のズレはずっと感じてきていたのだと思いますが、その時はなんとなく言葉としてうまく表現できない、「もやもやしたもの」くらいにしか感じ取ることができていませんでした。


そもそも、この遠くに感じてしまう原因ってなんだろう。


そこで、西洋の話に戻りたいと思います。


ヨーロッパと日本、大きな差としてあるもの、そのひとつとして歴史の長さがあるかと思います。
また、長い歴史の延長線上に生まれてきた、そこに暮らす人たちの価値観も。

まずは歴史の話ということで、ひとつの例を。


皆さんご存知の「オペラ」。

私が大好きなイタリアが発祥の地です。


それゆえにイタリア語オペラが圧倒的に多いし、一般的にオペラ歌手を目指すのなら本場イタリア、と言われることも多いでしょう。

オペラとは、いわゆる音楽と演劇によって作られる舞台芸術のことを指します。
このオペラというジャンルが出来上がった時代って、実は、今から400年は遡れてしまいます。

私が通っていたクラウディオ・モンテヴェルディ音楽院
この学校の名前、そもそもクレモナ生まれの作曲家さんの名前です。

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1567年に生まれたモンテヴェルディは音楽史においては大変重要な人として数えられています。

というのも、
「最初期のオペラを作り上げ、近代につながるオペラ様式の元を生み出したと言っても過言ではない」この人がいなかったら今のオペラは生まれなかったぞ!という方でして。

音楽史好きならハァハァしちゃうような話題なのです(変態チックですいません)

ちなみに現存する最古のオペラ作品は1600年、ヤコボ・ペーリという方が作った「エウリディーチェ」というもの。


少なくともオペラ作品の概念は1600年前後には生まれていたんですね。モンテヴェルディが作った重要なオペラは、1607年に初演された「オルフェオ」と言います。


ギリシャ神話好きの方、もしくは天体・星座好きの方なら、「エウリディケ」「オルフェウス」と書いた方がわかりやすいかもしれません。先ほど書いたものはイタリア語として読んだ場合の発音になります。

で、モンテヴェルディが作った「オルフェオ」のなにがすごいか、そもそもモンテヴェルディはなんですごいのか、

それは、この「オルフェオ」で様々な【初めての試み】がなされているからなのです。

・作曲家が細かに各パートへの楽器指定をした。
・メロディラインがはっきりとしていて明瞭である。
・「楽器などを使い雷鳴を鳴らす」(サンダーシート)などの効果音が作曲家によって使われた。

こんな感じ。


たぶん、今の時代ではどれも普通のことなんでしょうが、これは400年前では、ものすごく画期的なことだったと思いますし、聞いた聴衆も驚きを持って舞台を眺めていただろうなと推測します。


また、初期の大規模な作品としては、これまたすごいことがあるのですが、初演時の楽器指定がなんと今日上演する際も、そのまま伝わっているんです、400年前の。


このオペラ「オルフェオ」によって、モンテヴェルディは「音楽による劇」(dramma per musica)という新しい音楽の様式を作り上げたと言われていまして、それは私たちが知る近代オペラの出発地点のようなもの。


例えばプッチーニが作った「トゥーランドット」(「誰も寝てはならぬ」が登場)や、モーツァルトの「魔笛」(「夜の女王のアリア」)やロッシーニの「セビリアの理髪師」(「私は町の便利屋さん」)などなど、後の時代に生まれてくる様々なオペラの劇的な表現の元につながっている。


モンテヴェルディが作ったオペラは、その後生まれていくオペラたちの、生命の起源でいう一種のアミノ酸スープみたいな存在と言えるのではないかと思うのです。


ながながと、突然のオペラ話に驚いた方もいるかもしれませんね。けど、ここまで読まれている、ということは、きっと「面白い」と思ってお読みいただけている、ということではないでしょうか。


実はここまで書いてきたオペラ話も、海外から持ち帰ったものを「言葉や様々な表現で伝える」ことも大切ではないか、そんな風に考えてきた一つでもあるのです。

難しい専門用語を交えて話す、のではなくて、誰が読んでも聞いても、「おもしろい!」と思っていただけることはできないか。興味を持ってもらうことはできないか、と。



で、そもそもなんでこんな話をやってきたか、ですね。笑

最初に書いてた1文を↓


「ヨーロッパと日本、大きな差としてあるもの、そのひとつとして歴史の長さがあるかと思います。」



さて、ようやくここで日本の話。
イタリアでオペラが生まれ始めていた1600年の時って何をしてたか。




いよいよ!というところで申し訳ないのですが、、、


風呂敷を広げすぎた感もあり、2000文字をゆうに超えてしまいましたので、今日のパートはここまで。笑



最後にモンテヴェルディの晩年の作品の一部をご紹介しましょう。
現在でも上演されている「ポッペアの戴冠」の最後のシーン。

「なおもあなたを見つめ、なおもあなたを享受する」という歌です。


次回、このオペラが作られた時期と、日本のお話から。


ちなみに、ここから下は「ポッペアの戴冠」というオペラ作品を
より深く知りたいという方のためのおまけ文章です。読まなくてももちろん大丈夫ですが、読めばたぶんご紹介した歌の美しさをぶち壊してしまうことになりかねません。笑

自己責任のもと、お開けください。


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