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気づかない本質的な欠点〜アミ小さな宇宙人より〜




「われわれを愛からひきはなしている、

エゴという自分の中のみにくい部分には、

それを支えてしばりつけている根があるんだ」



「その根って?」(ペドゥリート)



「いちばん大きな本質的な欠点だよ。

われわれにはいくつもの欠点があるけれど、

その中でいちばん重症なやつだ。

それががっちりとエゴを支えているんだ。

ちょうど土にうまって外からは見えない

木の根のように、自分で見つけるのは

たやすいことじゃない。

他人のほうがずっと見つけやすい。

でも他人からそれを知らされると、

自分を美しいと思いこんでいた

''みにくい、幸せ者の小さなひと''と

おなじように、われわれのかわいそうな

エゴはその支えを失って、

われわれは死ぬほどショックを受けるよ…」




「なんでなの?もし、エゴがなくなったとした

ら、もっとずっと幸せじゃない、純粋な愛にも

より近づけるわけだし…」(ペドゥリート)




「まだひとりでは泳げないひとから

いきなり''救命具''を取ってしまったら、

たいへんなことになるよ!…」




「またまた、なぞめいた言い方をして。

それ、どういうことなの?」(ペドゥリート)




「あるていどまでの水準の人生において、

エゴは一種の''救命具''のような保護者的な

役目をしている。

でももし、もっと上の水準に進歩したければ、

その重い''救命具''…つまりエゴのことだけど、

それをいっしょにもっていくことは

できないんだ。まず、ひとりで泳ぐことを

学ばなければならない。

いつか、二者択一しなければならない時機

というものが、やってくるんだよ」




「その''泳ぐことを学ぶ''って

どういう意味なの?」(ペドゥリート)




「宇宙の法にのっとって生きることを

学ぶということだよ。もし愛とともに生きてい

けるなら、ほかにはなにも必要じゃない。」




エンリケ・バリオス著「もどってきたアミ」




10カ月になる息子は最近、

自分の足で立つようになってきました。



立った時の満面の笑みといったら…🌸

╰(*´︶`*)╯



自分の足で立ち

自分の足で歩くこと。


それは本来

私たちの魂の喜び。💫💫




守ってくれる人がいて

甘えられる人がいて

支えてくれる人がいて

救命具がある状態は

とても安心できるし、

何かあったときに

しがみついていられる。



けど、

一人で歩きたい。

自由に泳ぎたい。

大空を羽ばたきたい。


と想い、

準備が整った人から順に



自分の足で歩く練習をはじめ

自分で泳ぐ練習をはじめ

自分で飛ぶ練習をはじめ


「愛」を軸に

精神的に、魂的に「自立」していく。



わたしも

自分の足で自分の人生を歩んでいこうと

あらためて想いました。🌱



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