『ボレロ』裁判始まる—— ミステリのような"麗しき"事件
モーリス・ラヴェルの相続人は、『ボレロ』が2051年まで著作権が保護されるよう訴える。
莫大な”金”が絡む裁判——
モーリス・ラヴェルが作曲した最大の「ヒット曲」とも言える『ボレロ』。2016年、フランス国内では『ボレロ』を含むラヴェルのおよそ半数の作品の著作権が消滅しました。ラヴェルの代表作であるこの『ボレロ』を巡って、著作権の復活と延長を図ろうと、ある裁判がフランスで始まります。
以下は先日フランスで報道された新聞記事(ル・フィガロ紙、2024年2月9日付)を元に要約・再構成してお伝えするものです。日本モーリス・ラヴェル友の会では6年前にこのラヴェルの著作権問題を問うドキュメンタリー映像の日本語訳台本を掲載したこともあり、今回の報道ではドキュメンタリーで追った内容が再出されています。改めてこの厄介で「糸が絡まるような」ラヴェルの著作権問題の複雑さや難しさ、深い闇に迫ります。
ラヴェルの遺産と著作権は複雑怪奇に流れる…
まずラヴェルの遺産・著作権問題を振り返るために、作曲家の相続に関して時系列で追います。事の流れは、1937年12月28日、ラヴェルの死後、作曲家唯一の法定相続人だった弟エドゥアール・ラヴェルに全遺産・全権利が受け継がれたことから始まります。
・エドゥアール夫妻は1954年バイク事故を起こし負傷、カナリア売りでありマッサージ師のジャンヌ・タヴェルヌという女性を住み込みで雇う。
・ジャンヌの夫で美容師のアレクサンドル・タヴェルヌは、急遽エドゥアールの専属運転手となる。
・1956年、弟エドゥアールの妻死去。その2年後、エドゥアールは自分の別荘をタヴェルヌ夫妻に譲渡する。この頃、エドゥアールはモルヒネの影響を受けている、という医師の診断があった。
・ジャンヌはラヴェルの印税が振り込まれる銀行口座の管理をするようになる。
・エドゥアールはジャンヌ・タヴェルヌを自分の包括受遺者(相続人と同等の遺産を受け取ることができる)と認定し、全財産とラヴェルの著作権を彼女に遺贈することを決めた。
・1960年、ジャンヌは夫アレクサンドルと離婚。天文学的な金額の相続税の支払いを逃れるためにジャンヌはエドゥアールと結婚する。
・ジャンヌとエドゥアールの結婚式の8日前の1960年4月5日、エドゥアール・ラヴェルが死去する。3か月後、離婚していたタヴェルヌ元夫妻が再婚する。
・1961年、モーリス・ラヴェル血縁の相続人であるスイス在住の従甥(いとこおい)らが、エドゥアールの遺言書は強制的に不正行為で作られたものと訴え、作曲家の相続権を求め提訴。
・1964年4月、ジャンヌ・タヴェルヌ死去。亡くなる前の1年間だけでジャンヌはラヴェルの著作権料約4億6000万円、うち《ボレロ》だけで約1億7000万円を得ていた。夫のアレクサンドルが権利を受け継ぐ。
・1966年5月、裁判所はエドゥアールの遺言書は本人の意志で書かれたものとして、原告のラヴェルの従甥らの訴えは棄却。従甥らは控訴する。
・1968年、控訴院もエドゥアールの遺言は法的に有効だという一審を支持する判決を下す。従甥らは上告する。
・1970年、破棄院(最高裁判所)で上告棄却の判決。ラヴェルの遺産と印税は法的にアレクサンドル・タヴェルヌに継承されるものとして決定された。アレクサンドルは約53億円余りの権利料を取得し、ビアリッツに別荘を建て競走馬も数頭所有。そして美容師のジョルジェット・レルガという女性と再々婚した。彼女にはすでにエヴリーヌという娘がいた。
・ラヴェルの家「ベルヴェデール」と屋内に残された作曲家の財産は、弟エドゥアールにより、フランス国立博物館連合に遺贈されていたが、保管されていた1500点に及ぶとされる自筆譜など資料はすでにタヴェルヌの手に渡っていた。
・1972年、アレクサンドルはラヴェルの全権利を顧問のジャン=ジャック・ルモワーヌ(フランスの音楽著作権管理団体SACEMの元ナンバー2)が設立した音楽出版社ARIMA社に譲渡。以降、ラヴェルの著作権など権利料がタックス・ヘイブンにある数多くのオフショアカンパニー上で管理されていく。
・1973年、アレクサンドル・タヴェルヌ死去。未亡人となりラヴェルの権利を継承し億万長者となったジョルジェットはスイスに移住。
・2012年、ジョルジェット・タヴェルヌ死去。娘のエヴリーヌは母亡き後、巨額のラヴェルの遺産と権利を相続する。
……
そして『ボレロ』には数多の編曲作品もあり、数年前まで世界中で15分間に1回演奏されるほどの人気曲として、ラヴェルの「金のなる木」とされてきましたが、2016年5月1日、ラヴェルが1921年以降作曲(出版)した作品の大半がフランス国内でパブリック・ドメイン(著作権フリー)となりました。さらに2022年9月29日には1921年以前作曲(出版)した作品の大半もパブリック・ドメインになったのです。現在のラヴェル唯一の法定相続人エヴリーヌ・ペン・ド・カステル氏に入る著作権収入は大幅に減っている状況です。
そこでラヴェルの相続人はこんな手を打ってきました。著作権料の再取得を目的とした裁判を起こしたのです。2024年2月14日(水)の今日、パリ郊外ナンテールの司法裁判所でクラシック音楽において歴史的な裁判が始まります。
この裁判でカステル氏と共に先鋒に立つのが、ジャン=マニュエル・ド・スカラノ氏。彼は「悲しき願い」で世界的ヒットを飛ばしたディスコグループ、サンタ・エスメルダのプロデューサーとして莫大な財を成した後、ラヴェルの楽曲をほぼ独占している楽譜出版社デュラン社を買収し、のちに売却しました。スカラノ氏は、音楽作品の著作権期間を50年間から70年間に延長するラング法案が可決されるよう国会議員にロビー活動を行いました。この新しい法律が採択され、『ボレロ』のパブリック・ドメインへの移行は1988年から2016年まで延期されたのです。
それまでにラヴェルの著作権など権利収入はタックス・ヘイブン(租税回避地)の数多くのオフショアカンパニー上で管理され、租税回避された収入は途方もない巨額なものになりました。例えばラヴェルの著作権収入は総額で4億ユーロ(約640億円)と推計され、このうち記録のある1960年以降、『ボレロ』だけで5000万ユーロ(約80億円)に上ったとされています。この租税回避に関する機密文書「パナマ文書」にラヴェルの相続人カステル氏の名前が掲載されており、今後ラヴェルの権利を喪失するリスクを負っている状況です。
カステル氏もスカラノ氏も『ボレロ』が2016年にパブリック・ドメインになったことを認めず、フランスの音楽著作権管理団体「SACEM(サセム)」に対し、『ボレロ』を著作権保護下に戻し、その権利取得に向けて徹底的に争おうとしています。2051年5月1日まで著作権を延長させようという目論見で。
2051年まで著作権延長、そのからくりとは——
1928年に作曲され初演された『ボレロ』は、当時、振付家ブロニスラヴァ・ニジンスカ(1972年没)と、舞台装置と衣装を担当したアレクサンドル・ブノワ(1960年没)により、ラヴェルと共同制作されたバレエ作品でした。もし振付家ら二人が共同著作者として認められれば、最後の生存者(ここではニジンスカ)の死後から著作権保護期間が決められ、権利者には推定で2000万ユーロ(約32億円)の追加収入を得ることができるとのことです。しかし二人の振付や舞台による『ボレロ』のバレエ公演は初演以降、現在まで再演されていません。彼らはまた2016年以降のコンサートや映画、その他の広告などで『ボレロ』の楽曲使用による著作権収入の損失に対する補償として、SACEMに数百万ユーロの損害賠償も求めているそうです。
それまでにバレエ作品『ボレロ』の舞台装飾と衣装を担当したアレクサンドル・ブノワの相続人側は、祖父アレクサンドルをSACEMに登録し、1991年には『ボレロ』以外の複数のバレエ作品での共同著作者として認めさせました。
仏フィガロ紙の記事では「2016年に『ボレロ』がパブリック・ドメインになると、ブノワ家もラヴェルの相続人も、『自分たちはSACEMの犠牲者』だと言いました。ラヴェルの相続人側は、ブノワ家側の金銭目的の主張を支持していませんでしたが、彼らと手を組み、お金の分配に関して合意をしているのです。ブノワ家の弁護士はラヴェルの相続人の弁護士が所属する法律事務所にすでに参加しています」と伝えています。
さらにラヴェルの相続人側は、『ボレロ』初演時の振付家ブロニスラヴァ・ニジンスカも『ボレロ』の共同著作者であると主張し、これにより著作権を2051年まで延長できるとしています。
またアメリカ・テキサス州に住むニジンスカの相続人側は今回ナンテールの裁判に参加することを拒否したとのことですが、ラヴェルの相続人は「法的に強制参加すべき当事者」として訴えたとのこと。実はニジンスカ自身はSACEMに登録されていないため、追加で利益を分配する必要がなくブノワ家に影響を与えないようです。
ラヴェルの法定相続人のカステル氏は、ラヴェルの貴重な遺産である自筆譜資料「タヴェルヌ・コレクション」をスイス銀行などで保管しています。実は、過去に2009年、2016年、2019年と少なくとも三度にわたり、これら自筆譜を売却しようとしたことがあり、合計して2000~3000万ユーロ(最大約50億円)と推定される、およそ1300ページ分の自筆譜が闇のバイヤーを通じて市場に出品されました。しかし毎回スキャンダルが巻き起こり、売却は成功しませんでした。
フィガロ紙の取材に対して、ラヴェルの相続人の弁護士は「お金の使い方は個々の自由です」と結論付けた、と報じています。
この裁判の結果により、もし『ボレロ』の著作権延長が決定となるならば、1998年にすでにラヴェルの大半の作品がパブリック・ドメインとなった日本国内でも影響が出る可能性が大いにあります。今後の裁判の展開に注目が集まります。
(了)