3秒の呪い
人の第一印象は3秒で決まる。
無意識のうちにドス黒い偏見が渦巻き、3秒で、よくも知らないくせに、相手のすべてを決めつける。
誰しもが、その3秒間を経験したことがあるはず。
本の表紙をめくると、すぐ裏のカバーに作者の顔写真が載っていることがある。
これが本当にだめ。よくない。
「こういう顔の人が書いた本なんだ」というだけで私の中で無意識の力が働いて、内容が歪んで伝わる。
この人の語ることは偉そうだなとか、こういう人の話は共感しにくそうとか、まだ読みきっていないのに勝手に無意識のうちに決めつけてしまう。
(いちばん偉そうなのはそんなことを考えている私なのに!)
この「はじめまして」の3秒間が重すぎる。
3秒という短さに対しての負担が大きすぎる。
難しい。3秒でわかることなんてなにもないのに。
私が通う皮膚科の先生は、診察室に入るといつも穏やかな笑顔で、優しく、静かに話をしてくれる。「はじめまして」はもう何年も前だけど、大人しそうな人だな、という印象が強かったと思う。
けど私は、その先生が休日はバリバリに社交ダンスをすることを知っている。実は同じマンションに住んでいて、この前エレベーターの前ですれ違ったときに、いつもと全然違う派手な装いの先生に会ってしまった。
あの日の、診察室での3秒間が、社交ダンスの濃いメイクをしている先生だったら、勝手に尻込みしてしまい、きっともうその皮膚科には通ってないと思う。
(いつか、診察室で「先生、昨日社交ダンサーでしたよね?」って言いたい。絶対言えない。)
3秒間じゃわからないことがたくさんある。
私が星野源の音楽を初めて聞いた瞬間は、中学の時に社会の先生が弾き語りをした時だ。たしか学年末のタイミングで、先生は(下手でも上手くもないけれど)とても熱い思いを込めて「知らない」を歌ってくれた。
そのあとYouTubeで原曲を聴いて、好きになって、CD買ったりライブに行ったりラジオを聴いたりたくさん星野源の音楽に触れてきたけれど、あの「はじめまして」の3秒間は二度と取り戻せない。星野源の声じゃなくて、あの先生の声が、私にとっての「はじめまして」になってしまった。
どれだけ頑張っても、あの3秒は二度と訪れることなく、取り戻すことができない。
重い。重すぎる3秒間。
果たして私は3秒で、人になにを伝えられているんだろう。なんとなくわかるけど言語化したくない。
けどそのなんとなくのために、ちょっと化粧したり、お洒落したり、少しでもいい「はじめまして」になるように見栄を張ってしまう。どこか空回りをしてしまう。
間違いなく「接しづらい」人にはみえるんだと思う。だって駅に立ってるティッシュ配りのおばさんは私にだけティッシュを配らない。(女性専用ジムのチラシなのに!)
だからいつまでも、人との「はじめまして」に苦手意識がある。
むずかしいなあ。
3秒間じゃなにも伝えられないのに。
勝手に伝わってしまうし、受け取ってしまう。
どうにか、この3秒間の呪いから解放されたい。
せめて、受け取る側に立った時だけでも。
私の中のドス黒い渦巻を抑えて、なるべくフラットに、白い状態で「はじめまして」を迎えたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?