ははの話

         一


 11月になるとままはきまって不安定になる。
 今日は家にいてねって約束したのにいなかったり。
 朝から信じられない数のケーキ焼いてたり。
 ままは有能な看護婦だったときいている。
 でもあたしが宿ってやめて、そのあとずっと専業主婦らしい。
 でも11月。
 何で11月だけ…?

「二瀬(にのせ)さん、最近元気ないね」
 担任のタカナカがいう。
 高中未冬。
 すごい美人。
 でも、あたしタカナカきらい。
 美人だからでなく、ときどきあたしをムシするから。
 おかげで配点めちゃめちゃ低い。
 ままは国立大出てるし、ぱぱはモロ東大理Ⅲだ。
 そんなにできないわけないって、あ。

 ままの11月パニックひどくなったのって、あたしがこの中高一貫校入ってからだ…

 タカナカは中学免許も高校免許も持ってる。
 中ーから国語はタカナカだった。
 クラス担任になったり教科担任になったりで5年間、何かかんかタカナカとかかわってきた…


 ばんごはんつくってるしげさんのよこで、ままはぼんやり宙をみてる。
 この五年、秋から年こすまではとくに、ままは家事もなんもできなくなる。
 それでしげさん雇われた。
 いまではしげさんがあたしのままみたい。
 いちごお好きでしょ?
 おやつはいちごパフェにしますね。
 お弁当残さず上がってくださったんですね。
 しげはほんまうれしいですよ…

 いくらしげさんがすきでもままはまま。
 ままをこわしたのがタカナカなら、あたしはタカナカを許せない…


「そろそろ来る頃だと思ってた」
 職員室では話せないからとタカナカは言い、自宅~学校からほど近い、高層マンションの一室~へ私を招いた。


 小綺麗に片付いた室内に、かなり大きく伸ばされた写真があった。
 タカナカに似てるけど、もっときれい。
 少し陰のある、幸薄そうな…
 タカナカのまま?
 何かがあたしに警告する。
 ここにいてはだめ。
 でようとする。
 タカナカが機先を制して玄関に続くガラス戸の前に陣取る。
 表に誰か来た。
 鋼の扉を拳でガンガン叩いてる。
「呼子(ここ)ちゃん! 呼子! いるんでしょ!? 返事して!」
「ままっ!!」
 ガチャンと扉があいてとびこんできたままは、タカナカの顔といわず髪といわずひっかくようにしてつかみかかった。
 タカナカのきれいな顔が歪む。
 まま!
 まま!
「あんたに呼子はやらせない! 笹野がどんなひどいことしたか! あんたわかってないでしょ!」
 ササノ?
「あんな目に遭わされる筋合いはなかったことくらいは…知ってますよ!」
 
 ままに押されながらタカナカは徐々に、部屋中心からベランダの方へ押し出されていった。
 ままはカつよい。
 腕相撲いつも負かされてばっかだったこととか思い出す。
 でもまま、そのまま押したらタカナカが、ベランダへ、手すり低、まま!!
「きゃあああっ!」
 四十三と三十二。
 もつれ合ってベランダを落ちていった。


 事件になった。
 ワイドショーネタになった。
 事は女教師と父兄のもめではなかったから。
 ワイドショーは残酷だ。
 十五年の時の向こうにあった小さな事件を掘りかえしたのだった。


         二


 タカナカの母、渥美笹野は昔、トークアプリをやっていた。
 とても仲良しの仲間ができたけど、その関係がひどく揉めたことがあったのだそうだ。
 ままと他に二人の人が、腹いせに、悪い噂をネットに流した。
 男に飢えてる人妻です。
 うんと乱暴にヤッチャッテください。
 悪意のいたずら。
 書き込み。
 誤算はそれが実行されてしまったこと。
 タカナカのままは年の割にきれいで、四人の男のひとに…


 近くの川に身を投げたのだという。
 六倍くらい膨れ上がったみにくい屍をさらしたのだという。
 タカナカはうちの学校に来る前に、ほかの二人を既に葬っていたらしい。
 そしてまま。
 タカナカは私が、タカナカのままとおなじめにあうのだと、ままに毎日のように言っていたみたい。
 どんどんままがこわれていって、そして…


 うちはみごとに解体した。
 東大理Ⅲのぱぱは、輪姦企んだ女の、こどもの父親であることを拒み、一族もそれに同感した。
 ままの親族も同様に、あたしを引き取ることを拒否り、あたしはこの世で天にも地にも、全く寄る辺のない身になってしまった…
 見かねて引き取ってくれたのは、何の縁もゆかりもないしげさんだった。


         三


 二瀬呼子から猪森呼子へ。
 名が変わって二年になる。
 赤の他人のはずのしげさんが一番優しいこの現実。
 身よりのないしげさんと、親族全てに捨てられたあたし。
 これからも仲良く生きられると信じてた。
 三回忌終えてままの墓の前で二人で手を合わせてる。
 親切すぎる猪森しげ。

 渥美笹野がかつて生み捨てた娘…………

 そうなのだ。
 この世に無償のものなんて無く、私は一人目のタカナカから逃れて、二人目のタカナカの手に墜ちたのにすぎなかったのだ。
「あたしも殺すのね」
 ままの墓に手を合わせたまま横を見ずに問うと、よこでしげさんが息をのむ気配がした。
「妹がし残した分をあなたがってとこですか?」
 でもあたしは言いたい。
 引き取ってくれてありがとう。
 楽しい時間をありがとう。
 そして…
 言いたい、臆病なあたしの心は言わせない。
 しげさんの気の済むようにしていいよ…
 生きていたい!
 しげさんと生きて行きたいんだ!!
 その欲が、あたしの身を震わせてしまってる。
 勇気だせ呼子。
 ありがとう。
 たった五文字じゃないか!
「できませんよ私には」
 しげさんの言葉が私の中にゆっくり、ゆっくり沁みていく。
「はじめはそのつもりでした。未冬が出来なかったときのための予備人材。そんなつもりで二瀬家に入りました。でもお嬢さん仲良くしてくれたでしょ。二年目の春にはもうそんな気なくなってました」
「それじゃあ…」
「今奥様にお願いしました。これからも呼子様と仲良くいかせてくださいと。でもなんかよくわからなくて。奥様怒ってらっしゃいますかね」
 しげさんの声が震えてる。
 あたしを失いたくないって。
 だよねだよねだよねだよねだよね!
「OKに決まってるじゃん!」


 こうしてあたしは今もなお、母殺しの犯人家族と暮らしてる。
 ひとからはそうはみえないかもしれないけど、あたしはこれでなかなかけっこう幸せだと思う。
 来年しげさんは遅い結婚をする。
 西洋風にやるそうなので、あたしはフラワーガールをつとめさせてもらおうと思ってる。
 ままはいない。
 タカナカもいない。
 でもあたしにはしげさんがいる。
 未来永劫いてくれる…

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