徒花 -大谷吉継-

病が深まるにつれ、己がそこにいてはいけないという感情にさらされることが多くなった。
駿府殿とは馬が合う。
豊臣の後の世を、あれはみている目だ。
常に健康に留意し、早寝早起き、鷹狩り、薬三昧。
だが吾はすでに病を得ている。
瞳は片方壊死し、足腰は立たず、肌は爛れてうみを産出している。
茶会の廻しのみの席で雫落としたときは青ざめた。
たれももう飲めまい。
取り落としてしまえばよいか?
いや、仮にも太閤の点前じゃ。
そんな粗相は…

と。

いきなり治部が来て、器を吾から取り上げ、ぐいと全部のみ干したではないか。

喉が乾いてしまった。
干してしまった。
すまぬ。

太閤がからからと笑い、安堵したような追従笑いが皆からこぼれ、その場は収まった。
さすが治部。
あのような機転はたれにもできぬ。
顔立ちがすましておるので冷たくみゆるが、あれでなかなか好漢なのだ。

なぜ助けた。

と問うたが、

助けが必要だったか?

とぼけおる。
いつか恩義を返そうと思うが、それは言わぬ。

太閤はじつはさほど高齢ではない。
だがおひろいを得てより、すっかり好々爺のようになってしまわれた。
明の使節団の前でおひろいが粗相して、使節団は大のご不興なれど太閤はじつにたのしげにしておられたという。
出自のせいか太閤は、時折ひどく陰険になられる。
先の茶会ももとより吾を末席にしておけばよいのに、中途に置くからあのような仕儀に。

そこもとを大切に思う故じゃ。

そう治部は言うが、吾は見たのだ。
あの瞬間、ぽたりの音とともに起きたことを、太閤は真正面から見ておられた。
まこと興の乗る民草の芝居ででもあるかのように。
その瞳はぎらぎらと、照りつけるようじゃった…

お主の気のせいじゃ。

治部は言う。
すました顔の下のものは、果たして何だろうか。
悪い口どもは言う。
茶以外のもので接待したのだろう。
をんなに道を付けさせたのだろう。
太閤の最初のお子、最初の秀勝様は、実は…
等々を、聞こえぬふりで一切やり過ごす。
たいしたものだ。

桃の話聞いたぞ。

珍しい献上品な。
あれは吾も迷うところだった。
太閤ご自身が、珍しいもの好きだしな。
だが十月の桃。
何事もなければ笑い話だが、当たれば天下人の腹下しじゃ。
輝元殿ともあろうかたがあまりにも考えなしじゃと思うから突き返した。
何がいけなかったのやら。

時節外れゆえ、太閤が召し上がって何かあれば一大事でござるし、それでは毛利家の聞こえも悪くなりましょう。
ゆえに時節の物を献上なされよ。

当たり前の差配ではある。
だが惜しむらく、治部が言うと、それは驕りの高ぶりのととられる。

太閤の権勢を笠に着て横柄だ。

とかのう。
ううむ。
不運な男だ。

その始まりからして治部は不運だった。
許婚者(いいなづけ)のはずだった石田有楽庵の娘に、齢三十八の秀吉が岡惚れた。
片や信長の懐刀、戦国の出世頭。
片や同じ石田姓の、昔なじみだけが取り柄の土豪の息子。
有楽庵に断れる訳がない。
娘は猿に組み敷かれ、一子を成してお腹様となる。
連れて逃げてくださいと、きっと娘は頼んだだろう、三成、当時佐吉は一族郎党に累及ぶの恐れ、娘の頼みを黙殺した。
齢十七の花盛りを摘まれて、娘は狂気に陥った。
こともあろうにかつての許婚者を、人材として秀吉に推挙した。
もちろん恋い慕った男とは言わず、父・有楽庵の知り人として。
秀吉に訝しがられると、そこはそれ、女ならではの巧みの知恵で、

童(わらわ)のころの兄上です

などと、言い逃れ、まんまと佐吉と秀吉を引き合わせてしまった。
秀吉も人が良いものだから、

佐吉とは(秀)吉を佐(たす)ける

であろうとよみ解いた、こうして両者は始まったのである。
佐吉は三成となり、一心に秀吉に仕える。
庭に出る草履を懐で温めた秀吉の故事にならい、履き物縁の下に置いて冷やしおいたところ、秀吉大いに笑い、今に至る。
不器用さ、大真面目さがかわいいのだ。
吾もそれがわからんでもないため、誼(よしみ)を捨て切れぬ。
件の桃の話も、本人の語る通りの仕儀なのだ。
たれも思い上がりたい心根がある。
ゆえに他の者の物言いに尊大をみる。
だが尊大なく物言いする者も、この世にはおるのだ。

吾の目には駿府殿もその手のお方とうつっている。
例えば三方ヶ原の戦い。
当時無敵とうたわれた信玄公の一行に、駿府殿だけが白刃を向けた。
齢三十。
決して若僧ではないが、年降りて賢しらな年でもない。
駿府殿は挑み、敗れたが、命からがら城へ逃げ込み、なのに城門は開け放ったままにした。
その剛胆が信玄公をして警戒させ、追撃を免れる知恵となったといわれている。
しぶとくかつ、いざとなったら勇猛果敢。
この者にはかなわぬと、辺り一帯に思わせた…

戦に勝っても敗者のように見ゆることもあるし、戦に敗れても勝者のように見ゆることもある。
信長殿が舎弟としては一番に置いたのも十分頷けるのだ。
一番の家来と一番の舎弟。
一番と一番の対決である。
見事に立ち回って天下を手にしてしまった太閤は、羨ましがられもするが出自ゆえに侮られもする。
出世途上のへりくだり具合を、存命の大名たちが覚えておるからだ。
前田殿のように素直に太閤の栄達を寿ぐ御仁はまれで、柴田殿などはあからさまに成り上がりと見て見下しおった。
まあ、柴田殿は信長殿のおやじ様の時代からの功臣じゃ。
出し抜かれた気分は並ではなかろう。
太閤は仲良くしたかった。
認めてもらいたかった。
けれどそれは無理な話で。
こともあろうに柴田殿は、市様を娶り、清洲を去ってしまわれたのじゃ。

たぶんここで太閤のお気持ちは切れたのだろう。
太閤はものすごく市様がお好きだった。
浅井領からお救いしてなお自分にはつれなく、当てつけのように柴田殿に添うてしまった市様は、柴田殿の所領に発つまさにその日、わざわざ太閤に言ったそうだ。

おまえに股開くくらいなら、この場でくびれたほうがましじゃ。

移り香を残しつつ、市様はゆっくり、十分ゆっくり去ったそうじゃ。

それでもな。

太閤は仰せた。
北ノ庄城落つるにあたり、市様は余に文を寄越したのじゃ。

娘三人穏やかに暮らさせてやってくれ

とのことじゃった。
虫のいい。
このことからもわかるであろ?
おなご心は風見鶏。
誠などありはせぬのじゃ。

この話を聞いていたときの、三成の表情が忘れられぬ。
水を打ったように能面で。
ややあってこう言った。

で、太閤はどのようにお返事を。

案ずることはない。
お任せあれとな。
そして末子にはあちらこちらで三度股開かせ、中子には、高貴そうでさほどでもない立場に追いやり、一番上は見ての通りよ。
母御が開かなんだ股、子が代わりに開かされておるわけじゃ。
口は災い。
桑原桑原。

自慢げに言うことでもなかるまいに滔々と語られる顛末は、あまり知りたい話でもなかったが。

三度股開きの姫様は、今は駿府殿のところの三男の嫁だ。
三男というてもご長子信康様亡く、次男秀康様お人質。
三男秀忠様こそ嗣子ともいえる。
ああ、つまり、淀様が生き延びても、江与様が生き延びても、信長様の血脈が生き延びるのじゃな。

初物でなくてもよいのだろうか。

よい。
どころか駿府殿のお考えでは女人は経産婦に限ると。

下衆な。

そういう意味ではないようだ。
産は女人の命定め、初産で命を落とす者も多い。
その点経産婦は、産のつらさ重さを身をもって知っておる。
ゆえに女人は経産婦がよいのだそうじゃ。

子を為すはたのしみごとのついでばかりではない。
嗣子を得、家名を存続させるには、どうしても子を持たねばならぬ。
重要なことでもあるのだ。

治部の奥方はうた殿という。
三男三女をもうけている。
職分多忙極めているのに、治部少輔殿は手堅いことよとからかうと、

つれあいの本分を果たしておるだけだ

とそっけない。
堅物なのやら朴念仁なのやら。
すべきことはなさねばならぬ。
その一心なのだろう。
佐和山は堅固な城だが虚飾はない。
奥方はいつも物静かに、穏やかな微笑みを浮かべている。
吾が出入りすることを快く思わぬ武将も妻子も多い中で、いつもうた殿は言う。

わが殿がいつも至りませんで。

三成に
過ぎたるものが二つあり
島の左近に佐和山の城

口の悪い連中が狂歌に仕立てたものだが、吾は心密かに三つだと思っている。
いま一つはうた殿だ。
いや。
本当は、佐和山の城もうた殿も、過ぎはしない。
島左近は…
左近はどうだろう?

もとは筒井順慶様んとこにいたんでさ。
あちらは齢二才で家督相続ってむちゃくちゃな目に遭いなさってて、盛り立ててやらんとご不憫でしょ。
戦働きしまくりましたよ。
だって周辺、松永久秀やら三好三人衆ですよ?
虎に睨まれた、じゃねえ、虎に囲まれた兎だァ。
弱いもん守らんでなァにが武将だァ。
そう言う心持ちでお仕えしてたんだ。
けどその後、ご子息がクズ殿でねえ。
忠臣徒臣の区別もつきやがらねえ。
こんなとこの禄食んでたら身が腐るってんでおいとまを。
お声はいろいろかかりましたがね。
そしたらある日、治部様が来た。
禄の半分出すから来いと。
馬鹿ですねえ。
十九万石の半分いただいたら即座に十万石大名の出来上がりですわ。
それでもよいってお内儀とかどうすんですか。
そしたらこうだ。

妻(さい)はつましいのに慣れておる。
大丈夫だ。

何ですか大丈夫って。
まあ二万石もあれば食えますからって七万石分は辞退しましたよ。

まあ確かに、治部の世間の印象は戦下手だ。
左近の勇猛さで釣り合いがとれるのかもしれぬ。
だが治部は、実際は、特別戦が下手な訳ではないと吾は思っている。
なるほど、小田原征伐の際に太閤に命ぜられた忍城攻めでは、太閤がかつて備中高松城に行ったのと同等の、大規模な水攻めを己も行い、しかも成果を挙げられなんだ。
だがこのときのこの攻めは、治部が申し出たものではなく、太閤御身が

水攻めでゆけ

とおっしゃったと聞いている。
太閤を真似たのではなく太閤の案だったのだ。
逆らえる武将がいるのなら、逆らってみるがいいのだ。
黒田如水に悪口言われておるのも、黒田本人が、自ら為した失策太閤に知られたのを、治部が告げ口したものと思い込んでの憎しみ、嫌気。
自業自得を思わぬ如水はもともと、信長様ご逝去の第一報に、

殿、天下がお膝に転がり込みましたな

と意味込めて、太閤の膝を二度打ったと聞く。
太閤はその折如水に、おのが野望見抜かれたと感じたに違いない。
もともと蔑まれ、軽んじられて来た来歴の太閤からすれば、そういうときにそういう軽挙されるのが一番の不快であろう。
その後も如水は太閤に献身し続けたが、得た所領は京大坂どころか、海を隔てた九州だった…
国防等兼ねて?
それもあろう。
だがとどのつまりそこにはその、たった一言が災いしたとしか見えぬのだ。

病没間近に気弱になった太閤は、駿府殿呼びつけ、

秀頼~おひろいは長じてこの名になったのだ~をくれぐれも頼む

と、こればかり繰り返していたそうな。
太閤様のご威光はいずこへやら。
怖かったのだろうとは察する。
駿府殿は基本受け身受け身で生き抜いて来た御仁だが、いざとなると信玄公にすら挑みかかる勇猛さをお持ちだ。
いつもいつも信長様のお顔色を伺い、読み違えずほどほど甘えれるから生き延びてきた太閤、信長様が没した後は、政敵ことごとく蹴散らした。
なのに駿府殿は蹴散らせなかった。
蹴散らすどころか懸命に、機嫌損ねぬ程度に扱うのがやっとじゃった。
戦えぬ訳ではない。
実際鬼柴田は攻め滅ぼしておる。
じゃが駿府殿には譜代の家臣があまたおり、幼き頃から殿よ殿よと大切にされてきた日々がある。
今川家の人質時代は今川氏きっての知恵袋、太原雪斉に軍学を学んでいる。
出自もご立派。
生き残るご努力もなされてきた。
相当な苦労人なのだ。
かなわぬと、太閤本当は思し召しだったのではあるまいか。
ゆえにもてなし、朋輩よ、親友よ、駿河殿よともてはやし続けた。
担いだみこしに乗っかってくれる駿河殿なら良かったのじゃが…

いま、逝こうとする太閤はぽつりと、

知っておる。
儂は種無しじゃ。
じゃがほんに、すてもひろいもかわいかったのじゃ。
石松もな。

はっと。
三成の瞳が一瞬ゆらいだが、何も言葉は発せなんだ。
ややあって、ぐううとひと声音発し、太閤は身罷った。
齢六十一才。
猿顔のせいで九十かと思うておったが、実は六十ちょいであった。

さあ賑やかになった。
奉行だ大老だといっても、世事の流れは駿府殿へ駿府殿へと、お一人のみへと流れてしまっておる。
治部を嫌う者たちが、これ見よがしに嫌悪仕掛け、襲撃すら繰り返された。
止め立てしてくれたのが利家殿で。
仲裁してくれたのが駿府殿で。
とりあえず治部は奉行職を離れることとなった。
太閤恩顧の者とはいっても、治部は一介の奉行にすぎぬ。
五奉行の顧問として、政務を統括するのは大老である。
その大老を見張るのが奉行の役目といっても、知名度も来歴も、圧倒的に大老たちのほうが大きいのだ。
そしてその大きい大老たちの中でも、圧倒的に駿府殿が手ごわい。
信長様の弟分で、信玄公に挑んだ豪胆で、最近では、大名どうしの婚儀まで執り行っていると聞く。
大名どうしの縁組は、単に結婚だけを意味するわけではない。
誰と誰が手を組み、誰が誰に頭が上がらなくなる、などの、生殺与奪が絡む仕儀なのだ。
それを駿府殿がやる。
力関係も駿府殿が仕切れてしまうということなのだ。

吾は病んでいる。
この躰で秀頼様にお目もじするのは、いささか気が引けるし、お袋様、すなわち淀殿も、吾が殿中するのはお気に染まぬだろう。
なのでご機嫌伺いは、専ら治部に任せていたが、治部は治部で、淀殿の勝気に辟易している気配がみられた。

長身の美男の幼なじみ~大野某だと誰もが思っている~と仲睦まじいのがいささか気になるが。

言わずもがな。
それでも駿府殿に集まってしまう人望、政治力等が、秀頼様をおびやかしていると、治部は考えているようだった。

万一の際には、刑部はどちらにつく。

危ない質問を吾にする。

仮定の話には答えられぬよ。

言を左右にして答えをはぐらかす。
時流。
時世。
永遠の治世などないことも、歴史が物語っている。
そうさなあ。
健康なら、駿府殿の作る世、みてみたかった。
吾まだ齢三十六。
太閤の半分ほどしか生きていない。
そしてこの先、戦働きで、己が栄達する方法もなくなるであろう。
吾は治部を三度諫めた。
戦端を、いかに上手に開いたところで、先方は人たらしの戦上手。
こちらは既に強固となった駿府殿のお立場を、諫めるだの諭すだの出来うる人材とて持たぬ。
かてて加えて治部よ。
おまえは物言いが横柄で、人たらしが下手で、愚直なのにもかかわらず、人の恨みを買いやすい。
なのに挙兵するのか?

する。

ああもうこれは…

一人にしておけぬと思った。
一人くらい時流に逆らう者がいてもよい。
戦は人を土地を疲弊させる。
徒花も生む。
吾が健康であれば、かような徒花に寄り添いはしなかったと思う。
駿府殿の行く末。
見届けたかった。
あれは健康で野心をうまく、維持し続けられた男の道。
次生はそう生きよう。

そしてその日その刻。
戦端は、開かれた。

それでも地球は回っている