坂の途中〔chitoさんに捧げる一作〕

高台に作った大きな家が自慢だった。
大金持ちからすれば大したことはなかろうが、まあそこそこ小金持ちにはなったのだ。
子とは折り合いが悪く、もう六年も会っていない。
妻は二年前に逝き、悪いことに、直後私は脳梗塞を起こし、今はかろうじて歩ける程度だ。
下働きを雇えた蓄えは、入院加療リハビリで消えた。
つましく生きていかなくてはならない。

つまらない人生だなあ。

そう思いながらも生きてゆく。
生き続けてはいたいのだ。

坂の下のマーケットから、買い物をして戻る。
年金を使い減らさないように、節約の買い物。
からだも多少負荷をかけた方がいいので、自分で。
介護や、宅配に頼るのはもっと後だ。
でも。
高台に家を建てたために、買い物の帰りがつらくなるとは。
妻は黙って買い物をしていた。
女は忍耐強いのだな・・・
などと考えながら坂を上がっていたら、小学生とぶつかった。

いてえ!

叫んだのは小学生だったが転がったのは私で、裂けた買い物袋からは、特売の玉葱が転がった。
卵も割れたろう。
よろよろ立ち上がる私に対し、小学生は吹いて言った。

ぶざまー。
こんなおじいちゃんにはなりたくないでちゅね。

コラ!よしき!

連れの女の子に叱られながら、小学生はそれでも私を嘲って、私の動きをまねたりしながら悪ふざけながら坂を下って行くのだった。

こどもなんてあんなもん。

そう思いながら玉葱を拾いかけたその時。
私は坂下を二度見した。
よしき。
じゃあ連れは!

二つ結びのお下げ。
桃色のランドセル。
私と連れだって通学してた、妻の面影がたしかに・・・

なら、あれは私なのだ。
私の人生を生きるのだ。
家を建て、子を育て、子らに背かれ、妻には先立たれ、病にまでも見舞われるのだ。
そしていつか、やんちゃなこどもに、坂の途中で突き飛ばされて笑われる。
笑った記憶もかすかにあった。
ああ。

歴史はこうして繰り返すのだなと、なぜか淡々と思いながら、私は玉葱をようやっと拾い上げ、坂の上のわが家~これもいまはもう私ばりにかなりくたびれている~を目指し、ただただ上がってゆくのだった。

それでも地球は回っている