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応援ってなに。

上京を決めたのは、半年前のことだった。
厳密に言えば、1ヶ月前だ。

このあたりの詳細はいつか記事にしよう。

上京する前日。
挨拶のため、父方の祖父母の家に足を運んだ。
実家から徒歩1分。
そのときの出来事を記事にする。

いきなりだが、少し昔に遡る。

私の家庭は父が長男だったこともあり、私が12歳まで同居生活だった。
そして、姑問題がかなりシビアな家庭だった。

母親が祖父母に責められている姿も間近でみてきた。
祖母はキャベツの切り方1つで文句を言っていたこともあった。
私が友達を家に連れてきたら、うるさいと怒られた。(勉強でも)

祖父母は全てに厳しく、怖かった。
理不尽だった。
祖父母にそういった「怖い」などの感情を抱くことが"普通"で育った。
なんて言ったって、この環境しか知らなかったからだ。

中学に入り、新居に引っ越した。
初めて、自分の部屋ができた。嬉しかった。

祖父母とは物理的な距離もでき、良くも悪くも会う機会も減った。
徒歩1分圏内ではあったが…。
すると、少しずつ祖父母の性格も丸くなっていった。(気がする)
優しくなったわけではないが、嫌味はあまり言わなくなった。
#経年変化かもしれない
けれど、やはり幼少期に植え付けられた感覚?は変わらず、
どうしても好きにはなれなかった。

そんな自分でも、
どこか愛してほしくて、優しい祖父母に憧れていて
自分が祖父母を好きになるように、
そして、好きになってもらえるように努力をした。
「愛」に飢えていただけかもしれない。
夕食を多めに作って持って行くとか、農業のお手伝いをするとか、
特に理由はないが、顔を出して話にいくとか…
できることは全て努力した。(つもり)

私は、"優しい祖父母"に憧れた。
正月などの長期休みに飛行機で祖父母宅に会いに行っていた同級生が羨ましかった。
〇〇(名前)おばあちゃんと読んでいる同級生、〇〇(名前)ちゃんと呼ばれている同級生が微笑ましかった。

とは言え、心の距離はそう簡単には縮まらなかった。


月日は経ち、大学受験が終わり、国公立大学への進学が決まった。
私の家は、極々一般家庭で、両親も高卒だったため、
勉強しろ!など一度も言われたことがなかった。
環境も勉強ができる環境が整っているとは到底言えるほどではなかった。
私自身も進学となれば専門学校になるだろうと考えていたし、
親や祖父母は就職を考えていたと思う。

ただ、私は中学1年生で国公立大学進学の夢をもった。
そのため、遊ぶ時間を惜しんで勉強に励んだ。

私が大学進学を決まったときには、
両親だけでなく、祖父母も驚いた。喜んだ。
たまたまその大学が親・祖父母の知っている大学だったことが大きいかもしれないが…。
祖父は近所の人たちに自慢をした。
それほど嬉しかったのだろう。
とてもニヤニヤして、私に話しかけてきたあの日は今も忘れられない。

しかし、
私は大学4年間いろんな活動に励んだが、
そんなことには何一つ興味を持ってもらえなかった。
そのため、特に自分から話すこともしなくなった。

それでも、お盆や正月に帰省したときは、顔を出した。
とは言え、私という人間に興味を持ってもらえないことはわかっていた。
何か聞かれたと思えば、
「勉強頑張っているのか」
「クラスで何位なのか」
「国家試験は大丈夫なのか」
「保健師コースは履修できることになったのか」
「他のことやっていないで、勉強に集中しなさい」
こんなことばかりだった。

幼少期から、同い年の従兄弟と比べられた。
学校の成績、スポーツの成績(メダルの数など)、身長まで…。
おそらく数値などでしか人を測ることができないのだろう。

経年とともに、私の心身が成長していった?ため、
祖父母と真に向き合わうことをやめた。
諦めたといった方が正しいかもしれない。
そうでもしないと、自分が疲労し、心が削られるだけだからだ。
とても悲しい話ではあるが…。
色んな努力をした結末だった。

あまり深く考えないようにしていたが、
今考えると、祖父母は
”私”という人間にではなく、
"恥ない孫""自慢できる"孫"に興味をもっていたのだろう。

しかし、同居していたときよりは、
帰省したときの会話も増え、穏やかに話すことができるようになった。


上京の報告

しかし、今回上京を決め、
それを伝えると、心無い言葉を言われた。
上京することは、親を通して予め伝わっていたが…。

・なぜ東京に行くのか。
・遊びたいだけだろう。
・東京という街への憧れだろ。やめなさい。
・(大学附属病院も内定をもらっていたため)、なぜ辞退したのか
・実家も近いし、公務員で安定しているのに。
・何を考えているんだ。

この日は、自分の気持ちをグッと堪えた。
反抗しても否定しても疲れるだけだからだ。
それと、自分にも相手を納得させることができるほどの理由がなく、
自分の決断に自信がなかったからだ。


国家試験

国家試験の結果が出る前もそうだった。
自己採点的には大丈夫であったが、
個人的には不安があり、またマークミスの可能性も否めない状況だった。
そのため、祖父母には
「多分大丈夫だけど、絶対合格しているとは断言できない。
落ちている可能性も否定できない。」
とだけ伝えた。
自分的には、一応ダメだったときの保険をかけておきたかったし、
日本人あるあるの遜った言い回しをした結果だった。
ただ第三者から「大丈夫」と言ってほしかっただけかもしれない。
しかし、祖父母から言われて言葉は、以下の通りだった。
「なにアホなことを言っているんだ。
落ちたらどうするんだ。適当なことを言うな。」

これまで両親含め、失敗が許されない環境で生きてきた。
そのため、もし落ちてしまったら…。と考えると
言葉にできないほどの恐怖心に襲われた。
怖かった。

合格の報告をしたときも同じだった。
「おめでとう」
たった5文字さえも言ってもらえなかった。
別に祝ってほしいわけではないが、
やはり物差しで測ることができるものにしか興味がないのだろう。
体調不良の中、国家試験2つ合格することが
如何に大変だったことか
そんな気持ちを想像することすらしないで、
すべて当然のごとく、人を見ているのだろう。
私を人として見ているかすら分からない。


上京1日前

祖父から東京行く前に、
「一度、家に寄って」と言われていた。
少し嫌だなと思いながらも、上京前くらいは温かい言葉で
送り出してくれるだろうと重い腰をあげ、祖父母宅に向かった。

祖父母宅に到着するや否や、
「寂しいだろ」と言われ、
「うん」と答えると、
「寂しい言うたかて、自分で決めたことだろう笑笑」
と言われた。(笑われた)
上から言われている気分、少し軽率な態度を取られたようで
いい気持ちにはならなかった。
とはいえ、
「自分の決断に揺るみを持たず、強い気持ちで行きなさい」
とも言われているとも感じ取り、
もう一度自分に喝を入れようとも思った。

ここで終わっておけば良かった。
最低限、円満の別れができた。

だがその後、先日上京することを報告したときと同じことを何度も言われた。
・なぜ東京に行くのか。
・遊びたいだけだろう。
・東京という街への憧れだろ。やめなさい。
・(大学附属病院も内定をもらっていたため)、なぜ辞退したのか
・実家にも近く、公務員で安定しているのに。
・何を考えているんだ。

これにプラスして、

・本当にバカだ。
・お兄ちゃん(関西圏内の大きな病院勤務の看護師)の方が賢い。
・あ〜あ、ひ孫も見れんな
・東京という街に行ってみたいだけだねぇ
・看護師でも使い物にならん

など心無い言葉を何度も言われた。
さすがにずっと堪えていたが、耐えきれなくなった。

・バカだバカだってなんだよ。
・兄の方が賢いのは承知。でも比較する必要はないこと。
・上京が遊び?遊び心は何一つないこと
・目に見えない色んなことを天秤にかけ、決断した結果であること
・そんな甘い考えではないこと
・何も知らないでよくそんなひどいことが言えること
・自分も大学病院に就職した方が慣れた地で安定もしていて良いことは理解していること
・上京することに対して、とてつもなく不安を感じていること
・なのに、そんなひどいことがしか言えず、応援ということができないのか

自分の感情が全くコントロールできなくなり、制御不能になった。
嫌い・苦手と思いながらも
どこか愛されたいと思っていた人からこのような心無い言葉を言われると
ショックで何も言葉が出てこなかった。

もういい。

と突き放すように帰宅した。
帰宅して、泣いた。

自分自身、上京することに対して、
不安だらけである。
知らない土地で、知らない人たちと、初めての仕事をする。
不安がないわけがない。
自分に余裕がないことも理解している。
だからこそ、
自分の決断した道がどんな苦しかったとしても、辛かったとしても
”後悔はない”と胸を張って言えるように頑張りたいと思っているし、
身内には、言葉だけでも応援してほしかった。


応援ってなに。

ここまで心無い言葉を言われても
距離を取らない、絶縁にならない・なれないのは
やはりどこまでいっても「祖父母と孫」という関係だからなのだろうか。
まだ、どこか愛してほしいと思っているのだろうか。

私は少なくとも、
大きな夢を持っている人もいない人も
目の前のことに必死な人も
苦境に立たされている人も
何気ない人も
その人には物差しでは測ることのできないその人なりの頑張りがあって、
自分が見えていない莫大なバッググランドを持ちながら
必死に「今」を生きている。

どこかで以前話したことがあるが、
頑張れないことは、頑張れることよりすごく苦しいこと。
一見サボっていたり、怠けているように見えるかもしれない。
でももしかしたら怠けているんじゃなくて、
その人なりに闘っているのかもしれない。
葛藤しているかもしれない。
そう思っている。

応援とか寄り添うとか
今はうまく言語化できないが、
いつか自分の言葉にできるように、
私は相手の言葉に耳を傾け、言葉を理解し(できなくても理解できるように努力し)、応援したり、寄り添いたい。
それはどんな形であっても。


今回の祖父母の件は、
正直、どうしたら良かったのか分からない。
いつか時間が経ったとき、亡くなったとき、
後悔するのだろうか。

後悔するとしたら、
自分はこの先もずっと心無い言葉も受容し、それに、相手に答えられるように無理をしなければならないのだろうか。


先日、叔母にも
「あんたは"どうしようもないじゃじゃ馬"だ」
と言われた。


自分がした決断は間違っていたのだろうか。


普段であれば、
・見返してやる
・自分の決断した道を自信が正解にする
と強気でいるのだが…。
家族や身近/尊敬する人などに言われると久しく心抉られた。


不安だ。


また悩みが増えた気がする。

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