やりたいことに近い修行のほうが近道に決まってるのにね
この人と出会ったのには意味があるに違いない。
そう思う人とこの先どれだけ出会うことができるかな。
たくさんが良い気もするし、たくさんじゃなくてもとっても大切な出会いがあるのも素敵な感じがする。
私をコーチとして、契約して下さってるクライアントさんは何人かいるのだけど、仕事柄深い話を聞かせて頂くことが多いじゃないですか。みなさんある程度の金額をかけてコーチングという自己投資をして何かにチャレンジするくらいだから、向上心がすごいなぁと思います。逆にこちらが刺激を受けたり自分を見直したりする。
私は煩悩の権化なのでわりと欲望に負けがちなのだけど、自分を変えたいひとの背中を押したり一緒に悩んだりしてるうちに、この人たちにとってはかっこいい人でいたいと思うようになる。
そうすると、私の変化も加速する。
そういう関係になれた時、出会う意味があったんだなぁと思う。このタイミングで、この悩みを、わたしとあなたで。
コーチングを始めたころ、セッションが怖かった。問い合わせが来ると嬉しくて、日程が近づくと怖くて、はじまるまでズーンとなった。対話してるときは熱中していて、終わるとお腹がペコペコになる。
慣れてきたころ、楽しくなった。沢山コーチングをしたい!カモン!と。
そうして、年齢職業性別、ほんとうバラバラなたくさんのクライアントさんと関わることになって。どの方もすばらしかった。そして、自信を持ってお手伝いできない人が居ることに落ち込んだ。とはいえそこで無理して契約を取りに行かなかったことはグッジョブなんだけどね!でも、役に立てないことがわかって悔しい気持ちで他のコーチをすすめたり、カウンセリングを勧めたりした。
あとから振り返っては、あの時もっとああすれば、こうすれば、と思うこともあった。「コーチング」という形式に縛られて息苦しいこともあった。
そんな気持ちを行ったり来たりしながら、なんか急に、ふと思った。
この気持ちはコーチにはもちろん、私が会社員として働いてきた中で感じた人間関係にも使いまわせる。
まず、どんな関係だろうと意味はある。というか、より近い表現をするならば、「出会えた意味を作ることが出来る」。
これは人もそうだし、たぶん出来事もそうだ。
どれだけ無意味に感じたりマイナスに思えることだって、自分が意味をもたせていくことができる。こんなことを経験した自分だから、という武器になる。
そうじゃないとやってらんないよね、だってほんとクソー!って思うことって多いもんね。それをまあるく研いだら優しい武器になるからね。
そう思うことができれば、私の歩んできたここまでの道のりや、これから出くわすいいことも辛いことも、ぜんぶ有ってよかった経験に変えていける。わたしはね、もう過去は塗り替えた。これからのこともどんどん塗り替えていくよ。
そうやって生きれば楽しいに違いない。
嫌なことを避けて避けて、どうしても出くわしてしまった避けきれない「つらさ」は経験値にしていただいてしまおうじゃないか。ほら…耳をすませば聞こえるでしょう…?ドラクエのレベルアップの音が…
じぶんの未来に関係ないことをするってしんどいのよ。関係あるって思ったら結構楽しめるのよ。だから全部を自分の未来と関連付けられたらかなり強いと思うのよ。
私は新入社員が入ってきた時、
毎日掃除ばっかり…意味がある仕事がしたい…と
悩む彼に、お願いする仕事は回りまわって
どんな効果があるのかを細かく関連づけた資料を
手書きで作って渡したの。
ただ倉庫の片付けするのと、
倉庫整理がどんなふうに
お客様の役に立てることになるのか
わかってるかどうかできっと
働く楽しさが変わると思ったから。
その新入社員は頭で考えてからじゃないと動くのに時間がかかる子だったから、それを渡してからとっても元気に働いてくれるようになってうれしかった。私もそれを見て元気を貰える。すてきすてき。すてきの相乗効果。
自分の私生活やフリーで仕事をするのであれば、誰かに紐付けてもらうことはできないから、自分で都合よく紐付ける力が大事になってくるんじゃないかなぁ。って思います。
私達は小学校からみっちり正解がある道徳を学んできたから、思考にも正解があるとか、より美しい方を選ばないといけないような気がしちゃうけど、実際にはそんなことない。都合よく、楽で、すきな方でいい。
いいじゃんそれで。なんでキツイほうが正しいのよ、おかしいじゃんね。楽しく生きるためにわざわざ辛いことしなくていいよ。楽しさ極めてくんだったら楽しさ求めた行動したほうが楽しさのプロに近いでしょ。辛いことのプロになりたいわけじゃないんでしょ。
わたしは楽しいことを求めるよ。好きな人といたい、面白いことしたい、遊んで暮らしたいもん。
お菓子作りのプロになりたいのに、まずお米の美味しい炊き方から初めて和食を極めてから…とか言われたらおかしいってわかるのに、なんで精神の世界では楽しさを求めるために厳しい修行をつまないといけないと思っちゃうのかね…私もそうだったけど…
行きたい方向になるべく楽して向かう。そうしていくうちに、現実を知ることができます。なにがあればいいか、どうしたらいいのか。それだけで、わざわざしんどいこと選択しなくたって全然壁にぶち当たるな…という肌感覚です。避けてもぶつかる。
それを、自分にとって意味のある出来事や出会いにしていければ十分だよね。
しんどさの真ん中にいるときは一生晴れないんじゃないかと思うけど、そこを抜ければよかったことにできる。そうしていきたい。そうしていこう。
あとから振り返った道のり、あってよかったものでいっぱいにしよう。そしたら時々振り返ったとき、とっても愛おしく自分の人生を思える気がする。それが今につながってるならなおさら、今の自分も愛おしく思える気がする。
そういうの、実家の柱にある傷と同じだよね。自分の身に起きたこと、それくらい懐かしんであったかくなるものにできたらいいよね。
だから私は、「とはいえ何が学べたか」とか、「とはいえよかったことはなにか」とか、ポジティブ変換を自分に出題します。
とはいえ~から始めると、その理由をちゃんと探そうって自分の頭の中に深く潜れるからね。
わたしはね、そういう変換が結構得意なの。だから過去を意味あるものに塗り替えられたの。それがすごく良かったと思ってるの。
よかったから、勧めたい。オススメ。
この文章を読んでくれたこともきっと意味がある。たまたまでも。偶然見たけど、じゃあなにかをポジ変換してみようかなって思ってくれたなら、書いた意味があって、読んでくれた意味ができあがる。
一生につくろう、意味。
大高あみはいつでもここにいてあなたと出会えた意味を作りたいなと思っているよ。babyboyわたしはここにいるよ~
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