ディズニーを理解できていない女


ディズニーランドに行きたい、と思ったことが人生で一度もないのだが、春休みに行くことになった。シーとランドに。
その旨を周囲に話すと、10人中10人が「いいなあ〜〜!」と目を輝かせる。
それにまず驚く。ディズニーの圧倒的支持率に。100%やん。誰も「へえ〜そうなんだ〜」なんて流さない。

わたしは人生の中で、テーマパークや人気店で何時間も待つ、という行為が一番無駄な時間だと信じているので、もう行く前からテンションが上がり切らない。対照的に子供は「楽しみやなあ」とそわそわしているので、ここはひとつ、子供のためである。待つことを前向きに捉えようではないか。

春休み真っ只中の期間なので、予想通りシーもランドもすごい人である。
アトラクションの待ち時間をチェックするために血眼でアプリを凝視する。
ディズニーに慣れていない我が家族は、予定通り夢の国を放浪しまくる。

待って待って待って。
インディジョーンズでは運転休止の足止めをくらいながら、比較的空いていたジャスミンのカーペットに何度も乗る。
人気のアトラクションに乗るために、一生分「待つ」という時間を使い果たし、スペースマウンテンで、ビッグサンダーマウンテンで、一生分絶叫した。

夢の国にいる間、わたしはディズニーを理解しようと努め、世界観を味わおうと必死だった。
ミッキーの家でミッキーに会うか?と子供に尋ねるも、「いいわ」とあっさり断られ、当テーマパークの主人公に会うことなく、時間だけが過ぎていくーー

途中で、トイストーリーのウッディに偶然に出会う。唯一わたしが好きなキャラクターなのである。トイストーリーを初めて見た時あまりに感動し、高校生といういい年頃だったが、クリスマスプレゼントにウッディーの人形を親にせがんだほどである。
生ウッディー登場に、小学生の息子を差し置いて、「ウッディー!!」と駆け寄る。取り巻きが多くて中々近づけないが、ウッディーは至って紳士的な応対をしていた。
「ウッディーおったな!!」と興奮すると、「ほんまやな」と息子は冷静な顔をしていた。

長時間待つことに、後半夫は案の定疲れ気味だった。昔、神戸のアンパンミュージアムに行った際、途中で抜け出し近くのコーナン(ホームセンター)に逃げ込んだ男である。「コーナン、ごっつ落ち着くわ〜」と和んでいた。どうせネジかなんかでも物色していたのであろう。
ここ夢の国でも顔が「コーナンに行きたい」と言っていた。口にはしないが。
それでも夫にしては十分忍耐強く待っていた方である。ジャスミンのカーペットに乗っている様は、四十半ばのおじさんとドリーミーな世界観との対比が絶妙であった。


周囲を見渡せば、春休みで小躍りした学生たちで賑わっている。
皆同じようにカラフルな耳をつけ、おめかししているではないか。女子高生なんか、ぴょんぴょん飛び跳ねながら楽しそうに踊っている。
そうか、そういうことか、と急に合点がいく。
若干アンダーグラウンド目線でディズニーを見ていたが、ここは自ら積極的に楽しんで飛び込む場所なのである。
かわいい耳をつけ、おめかしをして、飛び跳ねながら楽しむ場所なのだ。
当然ながら我が家族は誰ひとりとして「かわいい耳をつけたい」と言い出しはしない。
だが周囲のほとんどの子供はもちろん、大人たちは耳のカチューシャを付けている。
そういうことだったのか!
そんなことに気づいたのも、ランドを去る間際である。
もし、次に行く機会があるならば、ジャスミンの仮装でもして、迷わずかわいい耳を購入して、ミッキーとミニーの家に会いに行くだろう。

ランドを去る際、広場に急にプーさんやらティガーやらお姫様やら王子さまやらが続々と登場し始める。
プーさんがおるでぇ!と、鼻息を荒くするも、息子は、あ、ほんまやな、と終始冷静であり、いつも取り乱すのは母親の私であった。
そんな冷静な息子が唯一熱狂したのが、ウエスタンリバー鉄道での恐竜を見た時である。
福井県の恐竜博物館でよかったやん、という想いはそっと胸に仕舞い込む。


帰ってきてから、息子が友達にディズニーのお土産をあげていた。
ただのディズニーのショップ袋でさえ、「それ、ほしい!」と小学生たちは熱狂していた。改めてディズニーの支持率に驚愕した。

テレビで片桐はいりが、トムの会、という、トムクルーズを理解するための会を長年開き、ようやく最近になってトムを理解し始めた、と語っていた。
わたしはディズニーをまだまだ理解できていない。

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