もう、気が狂いそうでしたわ!

実家近くに山々に囲まれた広大な敷地内で遊べる広場があり、そこは息子が乳幼児期によく行った場所だった。

墓参りの後久しぶりにそこに行きたいと行ったので、意気揚々と出かけたら状況が変わっていた。ほとんどの遊び場が閉鎖され、あるのは公園によくある遊具くらい。
息子がいちばん楽しみにしていた、色々な種類の自転車が乗れる広場も閉鎖されていた。二人乗りできたり、前後の車輪の大きさが違ったり、ひたすらホッピングのようにバネを踏み続けないと前進しない自転車など、何も考えず体を動かしながら遊べるという、デジタル全盛のこのご時世、なんてエコな遊び場なんだと感動すらした。
だから、なんで。

ゴーカート乗り場のおっちゃんに、あの面白い自転車、無くなっちゃったんですか?と聞いてみると、そこはおっちゃん一人で捌いていたらしく、来客数が増えれば増えるほどおっちゃんの仕事が倍増、一人で回していくには相当慌ただしく、人員を増やしてほしいと責任者に掛け合うも、人件費をかけたくないのかそれは無理だと断られ、泣く泣くおっちゃん一人で捌く怒涛の毎日が続いていたという。
おっちゃんは回想する。

「もう、気が狂いそうでしたわ!」
 
天を仰ぐおっちゃん。

気が狂いそう、にはいろんな意味が込められている。その場の切羽詰まった感、責任者への憤り、とは言うものの、来客者の為に必死で業務を遂行し、乗り切ったオレ、一人ずつに乗り方を教え、たまに調子に乗って爆走する子供を追いかけて注意を促し、毎日毎日好き勝手に乗り捨てられた自転車を元に戻し、途方に暮れかけたあの日---。

「あれを閉鎖して、こっちのゴーカートを復活させたんですわ!
いやあ、これは楽ですよ!
みんなちゃんと所定の位置まで戻ってくるし、一台ずつやし、右往左往することないし!」

おっちゃんは晴れ晴れとした表情で笑った。
そんな内情を知ってしまったら、軽々しく復活させてほしいなどと誰が言えるだろうか。静かに傾聴の後、「はあ、そうやったんですか」と頷く。

とにかくおっちゃんの気が狂わなくてよかった。社会の縮図を垣間見た瞬間だった。




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