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桜色の涙

第15章 桜雨

表参道の真ん中で、まだ少したどたどしいふたりは、車夫が構えたカメラの前に立っていた。

「えっとぉ~もうちょっと…近くに寄ってもらえますかぁ」

iPhoneを片手に持った車夫が右手を大きく振って、周りの人が振り向くほどの大きな声でそう言った。

私は車夫に言われるままに堤さんの左に寄り添って、スーツの袖を掴んでいた。

横目で見る堤さんの横顔は、少し緊張していて心なしか少し赤らんでいるようだった。

これが私たちふたりが触れ合った初めての瞬間だった。

「はぁ~い じゃあ撮りますよぉ ハイチーズ」

私は恐らくこれから見せることのない、最高の笑顔でカメラの前に立っていた。

「ありがとうございましたぁ」

車夫にお礼を言って、iPhoneをバックに入れた。

「…」

堤さんの方を振り向くと、少し引きつった顔が見えた。

「ごめんなさい…写真…嫌でした?」

「ぃいや、問題、あっまた…」

堤さんはそう言いかけて。

私たちはまた顔を見合わせて笑っていた。

春の心地いい優しい日差しが降り注ぎ、ふたりの心を少しずつ溶かしていく様だった。
そして朱色の鳥居をふたり並んでくぐって行く。

春風に桜の花びらが舞っていて「キレイ…」私は思わず呟いた。

ふたり並んで段葛をゆっくり歩き出す、ふたりの距離は自然に近くなっていく。

私はこの瞬間、瞬間をいつまでも忘れないように、そう思うとまた涙が込み上げてくる。

「大丈夫?」

「はい平気です…」

段葛の桜並木から舞散る花びらがまるでライスシャワーのように降り注ぎ、ふたりを祝福しているようだった。

私は込み上げてくる涙を抑えるのに必死で、言葉にすることが出来なかった。

堤さんは何も言わずにそんな私に優しく寄り添って、ふたりは三の鳥居をくぐり境内に入っていく。

舞殿の奥高くには緑の木々に囲まれた美しく気高い本宮が見えていた、境内の石畳の上をゆっくりと進んでいく。

「初めて…」

「ん?」

「初めて出逢った日のこと、覚えていますか?」

「初めて、出逢った日?」

「確か…1月…1月8日じゃなかった?かな」

「違いますよ、もっと前です、12月24日のクリスマスイヴ」

「えっ?クリスマスイヴ?」

「そうです、私、その日会社の面接に来ていたんです、その日の夕方、スタバの中で」

「…」

(でも1月8日って、確か 初出社の日、私のこと覚えていてくれたんだ)

何だかとても嬉しくなって、また堤さんの顔を覗き込む。

「堤さん ものすごく怖い顔して、なんだか気になっちゃって…そして年が明けてオフィスに行ったら私のデスクの10メートル先に堤さんがいるんだもん…その時は驚いちゃって」

「そうだったのか…」

堤さんはそう言ってまた空を見上げた、その顔は少し嬉しそうだった。

私たちは舞殿の前に立ち止まる。

「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」

「…」

なにが起こったのか?目を丸くしている堤さんがこちらを振り向いた。

「静御前が義経への想いを歌にしてここで舞ったんですよ」

私は堤さんの正面に立ってそう伝えた。

「詳しいんだね」

「だって私、 ここ鎌倉で生まれ育ったんですよ」

私はわざと少し怒った顔で、そう言って笑った。

私たちはまるで高校生の初デートのように初々しくて、堤さんとこうして並んで歩いているだけで、彼をこうして近くで見つめているだけで、何もかも忘れることが出来て…そして幸せだった。

私は、舞殿から本宮に上がる大石段脇の大銀杏の前で立ち止まる。

そして大銀杏の切り株に向かってそっと手を合わせた。

「昨年、倒れちゃったんですよね」

そう小さく呟いた。

私の隣に並んで堤さんも手を合わせてくれている、それを見ていると急に悲しくなってまた涙が溢れ出てくる。

「大銀杏、堤さんに見せたかったなぁ」

私はそう言って、涙を隠すように真っ青な空を見上げた。

私たちは並んで大石段を一段 一段思い出を刻み込むようにゆっくりと登り始める。

61段の石段を登りきったところに桜門その奥には本宮が迎えてくれる。

「ハァ、ハァ、ハァ…」

ふたりとも少し息が切れて、堤さんの呼吸音が私の近くまで聴こえてくる。

「ふぅ~堤さん着きましたよぉ」

ふたりは最上段から春の光に包まれた美しい鎌倉の街を見下ろす、眼下には今歩いてきた段葛の桜並木が、まるでピンク色の帯のように表参道まで伸びていた。

「堤さん、ここが私の生まれ育った街、鎌倉です」

そう言ってから私は両手を大きく空に広げて背伸びをした。

堤さんは私の隣で優しく微笑んで…「来てよかった」と一言呟いた。

「いつか、いつの日か鶴岡の桜も、見せてくださいね」

「あぁ、必ず、約束するよ」

そんな日がくるはずのないことは私が一番わかっているのに。

堤さんはそんな私の涙顔を見つめて小さく頷いた。

私は、今にも泣き出しそうになるのを必死で堪えていた。

ふたりは本殿の前に並んで立って参拝する、堤さんの拍手を打つ音が聴こえる。

(堤さんは、今なにを願ってるの?)

私も続いて拍手を打って深く礼をする、物心ついた時から何度ここで参拝したんだろう?友達と喧嘩した時、お父さんに叱られた時、受験の時、好きな人に告白する前日もお参りしたんだっけ、私は、今何を願ってるの?病気が、完治すること?そうじゃない そんなことじゃ…

この瞬間、この瞬間がふたりの最高の思い出になりますようにそして、出来ることなら堤さんが、

私のことをいつまでも忘れないでいてほしい、そんなことを願っていた。

「じゃあ、行きましょうか…」

「あぁ」

眼下に見えてくる大銀杏の切り株、いつか、いつかこの切り株から新しい命が芽生えて、またいつか、大きな銀杏の木になることを立ち止まって願っていた。

振り返るふたりで参拝した本宮が遠くに見えていた、私は何度も振り返りこの風景を目に焼き付けていた。

境内から三の鳥居をくぐってから段葛の満開の桜並木を並んで歩き出す。

私の心の声はきっと堤さんに届いている、私はなぜかそう確信していた。

ぎこちなさが少しずつ消えて、私たちはもう少しで肩が触れる距離感で、沈黙のまま二の鳥居に向かってゆっくりと歩いていた。

少し強い海風がふたりに吹きつけたその時、私の指先と堤さんの左指が一瞬触れ合う。

「あっ」

ふたりはお互い小さな声を上げて、そして自然にお互いの手を強く握り締めていた。

堤さんは、私の方を振り向いて何も言わずそのままゆっくりと歩き出した。

堤さんの手は大きくて、温かくて、 少しゴツゴツしていて、私の冷たい手を包みこんでくれていた。
「夢じゃないよね…」
「あぁ…夢じゃない」

こうされているだけで、私のすべてを包み込んでくれているような、不思議と安らいだ気持ちが広がっていった。

(このままずっと時がとまってくれたらいいのに)

私は少し目を瞑りそんなことを考えていた。

桜の花びらが私の白いワンピースの肩に舞い降りる、桜吹雪は私たちの時がもう少しで終わってしまうことを告げるかのように、果てることなく落ちてくる。

「ありがとう」

私は今にも消えそうな声で呟いた。

「大丈夫、ひとりじゃないから…」

「えっ?」

堤さんがそう言ったような。

ふたりの残り少ない時間が、ゆっくりと流れていく。

抑えようのない想いが、涙になって溢れ出てくる。

二の鳥居に近づいた時、その想いを断ち切られるように、堤部長の携帯が振動する。

堤部長はそのまま出ようとせずに、遠くを見つめていた。

「堤部長、出てください携帯」

私は笑顔でそう言った。

「ぁあぁ」

「もしもしあぁ、わかった」

「お仕事ですね、オフィス戻ってください」

「でも…」

「いいんです、私のことは、問題ない…です」

私はそう言って強がって、笑ってみせた。

「今日はありがとうございました、本当に楽しかったです」

「僕も楽しかった…」

「じゃあ堤部長行ってください、私はここで」

「じゃあ、また」

そう言って堤さんは鎌倉駅の方に歩き出す、20メートルくらいで堤さんはこちらを振り返る。

(なんだか不安そうな顔)

(いっそ抱きしめて欲しかった・・・なに言ってんの?私って、何で行かせちゃったの?行かないでって言えばよかったのに…)

そんな想いを断ち切るかのように、私は二の鳥居の下で堤さんに向かって大きく手を振った。

私の堤さんも私に向かって大きく手を振り返す、堤さんのところまで走っていける距離なのに、ふたりの距離が途方もなく遠く感じていた。

いつも見ている鎌倉の街並みなのに、なんだか知らない街にひとり取り残されたような不安を感じる。

「えっ?うそ、私…あっ だめ」

私はそのまま夕暮れの鎌倉の街で意識を失った。


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