ジョーカーは一人じゃないのかも

映画ジョーカーを、私はまだ一回しか観ていませんが、個人的には現実説を支持しています。

いろいろな妄想説も現実説も素晴らしい考察が既にたくさんありますので、私は特に言うことはないと思っていましたが、ひとつだけ。

『ジョーカーは正体不明のピエロ。
全て、同一人物とは限らない。』

ブルースウェインとアーサーの歳の差、少なく見積もっても25歳くらいはありそうだから、将来最恐のヴィランとしてバットマンの前に立ちはだかるの難しくないかなと、私も映画みたあとに思いました。

しかし、映画の中でも描写があるように、ジョーカーって仮面なので素顔が存在しないんですよ。悪を体現したピエロなら、誰でもジョーカーになり得るのです。

この映画はジョーカーのオリジン、誕生譚、エピソードゼロです。

『ジョーカーという存在はこうして生まれた』

そういう話であれば、納得がいくと私はおもいました。


うまく説明できないので例を持ち出します。京極夏彦の巷説百物語に『狐者異』というお話があります。簡単に言うと何度殺しても生き返る悪党・祇右衛門を一行が倒すお話なのですが、当然ながら悪党・祇右衛門が本当何度も生き返って悪さしているわけではありませんでした。ある侍が悪党・祇右衛門のせいにしてずっと悪行を働いていて、その度に別人を悪党・祇右衛門として立てて処刑して、自分は安全なところで旨い汁だけすすっているというのが真相だったのです。

主人公の又市は、「『狐者異』ってぇのはつまり仕組みそのものだから、悪さしてた本人だけ殺しても駄目だ。本当に悪党・祇右衛門はもう甦らない、存在しないってことをみんなに信じさせないと意味がない」というようなことを言います。


ジョーカーという存在も狐者異と同じで、当事者が死んでも残る悪のシステムなのではないかと私は思ったのです。

アーサーは、ジョーカーという伝説を作った。だから、もしアーサーが消えてしまっても二度とジョーカーにならない日が来たとしても、ゴッサムシティはまた新たなジョーカーを生み出すのではないか.......。そんな風に思ったのでした。

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