言葉の強度。
自分がふだんから言ってる言葉と本音に距離があると
どんどん発する言葉の強度が弱くなる。
私は自分を詩書き思っているので
それは
致命的なことだ。
だから
出来そうにないことは書かないし
出来なかったことをあやふやにしない
忘れてることもあるけど恥をかいても
出来ませんでしたと文章の上で謝罪する
そして
できるまで
ほかの事に
ポンポン意識を分散させない。
ダブルバインドの激しい人の言葉はなぜかゆらぎが大きくて
それはそれでいいと思うけど私は別に読みたくない
距離を近く、自分の心に焦点を当てたら揺らいでるのは当然のことで
自分だけじゃないものにも焦点を当ててみると
やたら自分べったりの詩ではなく
新しい何かが生まれると思っている。
自分の揺らぎにひとを巻き込むだけの作品は書きたくない
「言葉の強度」
誰かのあやまちや弱さは安心感をくれるけど
それはほんの一瞬で
決してお守りにも言葉の杖にもなってはいかない。
私は「JOY」を書きたいのだ
もしも不遜な願いがかなうなら
私の作品を「JOY」の足がかりにして欲しいのだ
そう思っているから。
アンビリーバーボーな薄給で働いているのでw他県の詩の勉強会に行く旅費の積立にさせていただきます。