炬燵(こたつ)の鳩
誰か私に、建前と本音の区別を教えてください
理由だけ知れたらいいのです
ドラマの難病ものに涙する22歳OLが、地下鉄の優先座席で夢中にラインする理由を 生まれてまもなく洗礼を受けた定年間もない59歳一男一女の父が、アルミ缶を集めるホームレスを手先で追いやる理由を
よく頑張ったねと目を見て言ってくれる上司28歳女性独身が、古株社員のミスを私のミスとして計上する理由を
今日も、両親を介護し養育費を遅れず払う彼が
お前は あくじびきだ と私を罵ります
みんな 極上の笑顔も持っています
遠くで
教師が バンザイバンザイと叫んでいるのが見えます。腹の底から絞り出すような声です
遠くで
友人の一人が 代わりにやろうか?と囁いてくれています。漏れるような音ですが光より先に鼓膜に届きます
遠く遠くで
私のあの人が 一面に広がる黄金の稲穂の中に立ち手を振ってくれています。
叫ばなければ聞こえぬ想いは超えたので見えなくてもわかります
みんな 極上の笑顔をもっています
聞いてください
私にはどうしても忘れられぬ話があるのです
マンションの管理会社で働いていた頃のことです。12月でした。借り手のいない1DK マンションの角部屋で、鳩が卵を産んでいました。気になりながら放っておいたらいつの間にか卵が孵ってヒナになっていました。
鳩のヒナはおよそ鳩には見えぬ
真っ黒な カラスのような ヒナでした
私と道子さんは社長からホワイトパレスの清掃を命じられ、しぶしぶ303号室のベランダにも入りました。17時過ぎだったと思います。鳩防止ネットを張り糞を洗い流し終わり道子さん妊娠五ヶ月はお腹を庇いながら
黒くて ぬっぺりして はかないヒナ
を燃えるゴミ袋に右手の親指と人差し指で投げ入れました
ヒョイ
その日は19時過ぎには仕事が終わりました。会社から借りてもらっていた自宅アパートからホワイトパレスは自転車で5分の距離でした。ポケットには仕事中に拝借したマスターキーを隠していました。違います、誓って違いますこの行為を誇りたいわけではないのです。小学2年の同じ冬、目も開かない捨て猫たちの背中に牛乳を浴びせかけてその無知ゆえに三匹の子猫の死期を早めた私です。
きつめに縛られたゴミ袋の下から
ドクン、ドクン…
ホワイトパレスゴミ置き場 冷たくグニャリとした体 開かない眼(まなこ)
鳥は一度も育てたことはありませんでした。ネットですぐに情報を得られる時代でもありませんでした。両てのひらで温める、マウスツーマウスの真似事をしてみる、違う、こんなんじゃない。ふと頭に卵を温めて孵化させる機会の映像が浮かびました。
萎れきった草が漲りを取り戻すように
ヒナは私の火燵(こたつ)のなかで見事に蘇りました
同棲していた男に見切りをつけてひとり行った北九州。話せる友人は一人もいませんでした。思えばあのヒナは、あの頃唯一の友達でした。コウちゃんと名づけました。死んだ父の名前が こうじ でしたから。餌はインコの餌をストローに入れて与えていました。幸せそうに食べてくれていました。私も、幸せでした。
10日ほど経つとコウちゃんは元気を取り戻しました。私はベランダに戻すことを決めました。人間の匂いがつけば親鳥は面倒をみない。どこかで聞いた話でしたが。
真っ黒な 部屋の真っ白な 壁にもたれ何時間も息を殺し待ちました
親鳥はさあっとやって来て何事もなかったようにコウちゃんに餌を与えてくれました。
良かった、やる前から知った振りして諦めなくて。
あの時心からそう思いました。
それからです。
半月も経たない私が知らないうちに303号室にカーテンがかかっていたのは。
何度覗いてもコウちゃんの姿は外からは見えませんでした。
あれからもう何年が経つのでしょう
私はいま、火燵の中の鳩のように穏やかです
コウちゃんが一体どうなったのか
想像すらしようとしていません
アンビリーバーボーな薄給で働いているのでw他県の詩の勉強会に行く旅費の積立にさせていただきます。