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大阪船場の街で投げ売り50円の谷川雁を見つける。

バックパッカーのようなリュックを背負って大阪の街をうろついた。
数年前まではガラガラキャリーだったが地下鉄移動がメイン、エンジョイエコ切符使いの私には
●サクサク階段で最短距離行ける
●足腰トレーニングにもってこい(年齢重ねたら足腰なのだ。若い方々覚えておきたまえ)←帰宅してチェックしたら筋肉量増えていた。やはり!

一日目 28度越えの気温。こんなに蒸し暑かったか大阪?
二日目 土砂降り(だから昨日はあんなに…)

極貧ジャーニー(というより埋骨のための大阪)でお店の男の人が持っても
「ほんとうに重いですね」のリュックの重さで踏ん張って歩いたためか(コインロッカー代も倹約)
いのち大事にモードの最終形態(セルフチェックシートは必要よ)
ヘルペスが発症。
もう、有無を言わさず休息決定。自分を守れるのは自分だけだからな。

責任感ありすぎ野郎だけど
4月にはまたPC試験も合格できたし、埋骨の責任も果たした。

noteの名前も変えた(たくさんの人に読んでもらおうとする場所で閉じすぎだろう!とも思うが。安い女じゃないの←(意味が違うだろ)昔からたくさんにちやほやされることに興味なかったんだわ。スペシャルな数人で満足なタイプ)
これを書いたらすべてを放棄してだらりんこモード突入である
(昨日はザ・セカンドに興奮して夜更かしが過ぎたし)

で、タイトル話(相変わらず関係ない導入が長い)
往復名門大洋フェリー使用だったので海上のため電波はつながらない。
(心からおススメ。現代人は定期的な強制SNS&スマホ断捨離必要)
あれほど文庫本持ってこようと思っていたのに忘れてしまった。
大阪に着いて早々難波を歩いて2つのブックオフ寄ってみたけどなんか心惹かれる本がない。

泊まった場所の近くが船場だった。
商店街の外国人向けの何でも屋みたいな場所の軒先に「どれでも50円」と書かれていた文庫本の山を漁る。

『汝、尾をふらざるか 詩人とは何か』(思潮社・2005年刊行)谷川雁
カバーなしで観光本とかノウハウ本のなかに異形のように混じっている。

本って出会い。本が人を選びもしたりする。と、思ってる。
九州の詩人だし(福岡の中間市にも住んでいた)もうこれ私に買ってくれって言ってるようなものやん。スピにかぶれたような心境で(毎日般若心経唱えてる奴がどの面下げて…)
谷川雁を手にする。詩の森文庫とかあったんだ…。吉本隆明から大岡信まで001~005まで出ている。知らなかったな。

詩人のなかでは生きざまも性格も一番好きな鮎川信夫も詩の森文庫から出してるとは…。発見発見。

谷川雁
今の詩を書く人でどれだけの人が知っているだろう。
詩人であり評論家でありサークル活動家(森崎和江はのちに決裂したが内縁?の入籍してない妻。森崎和江も知ってる人いるだろうか…。あ、石牟礼道子さんや埴谷雄高たちも当時の仲間。これもわからなかったらお手上げ)
戦後、田村隆一や鮎川信夫、吉本隆明とならんで、いやそれ以上に
「時代の寵児」だった人なのだ。
熊本の水俣に生まれ、父は開業医、兄は民俗学者、本人も東京帝国大学文学部卒の超インテリ(故にか、いばってて気取り屋だったことはいまだに当時の詩人から揶揄されている)。その華々しい経歴&なんかカッコいい詩を書く(難解である)がゆえにこの本にもある通り「谷川を一目見たいがためにかれの勤務先などに突撃する女子」もいたほどだったらしい。

しかしどうだろう?40代以下の詩を書く人で今どれくらいの人が知っている?東京に行くな(これも当時相当有名な詩)と詩に書いたのに自分はさっさと東京に行ったことくらい?これも知らない?
こまかなことは私もめったなことは書けないので調べてほしいが当時お決まりの共産党員だったりお決まりの脱退があったり(当時の詩人はこのパターン多い)他の詩人と論争してみたり(これもお決まり)宮沢賢治に心酔したりその先色々あったものの詩を書かなくなった。
「瞬間の王は死んだ」と書いて。(恐ろしく有名な文言だけど今は知っている人も少ない。時代の寵児とはそういうものだ。おいそれと時代は突破できない)

私は気取った人は好きじゃないけどこの本をさらりと見て(まだ読めてはない)谷川氏の覚悟だけはわかる気がした。伝わってきた。負け戦とわかっていた筑豊炭鉱側についた(相手は勝てるわけない三井)気概も好きだったり尖り散らかした感じも嫌いじゃない。

この本の終盤には彼の語録も書かれている。
「あなたの中に建設すべき自立学校を探求しよう」
これは詩人に向けての、詩人の覚悟について書かれているように私には読めた。この語録を引用して終わりにしたい。

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自立学校とは永久に存在することのできない学校です。矛盾の枠、逆説の華。名づけようのない人間になるための、ありうべからざる学校です。もしそんな学校があるとしたら…ということを構想し、力いっぱいそれに接近しようとする悪戦苦闘だけがこの学校の唯一の教課なのです。
 だから、この学校の授業料はとびきり高くつきます。ひょっとするとあなたの生涯のすべてをもらうことになるかもしれません。よし、くれてやろう。そのかわり、既成の価値をためこんで、精神の領域における独占と帝国主義を、何食わぬ顔で強化しようとする奴らを、まずこの学校で、あたるをさいわいノック・アウトしてやる。そうしなければ、労働者だのインテリだの、ちょろいレッテルがおれの顔にはりついて息が出来ない。
 そういう人はいませんか?それがつまり入学資格です。           
       『汝、尾をふらざるか 詩人とは何か』(思潮社)谷川雁
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 (追記)20年近く前の詩集を買ってくださった方々のおかげで無事大阪に母の埋骨に行けました(どれだけ助かったことか!)    
 そして最後まで読んでくださった皆さんありがとう。では、来週~。(了)



アンビリーバーボーな薄給で働いているのでw他県の詩の勉強会に行く旅費の積立にさせていただきます。