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今日のテーマは「オノマトペ」ですがその前に
わー。なーんと!いつの間にか。
フォローよりフォロワーさんが上回っているではないですか!!!
noteスタート時には思いもよらなかったです。
お休みの日や朝とかバスで通勤してる時ぐらいでしか(大体ちゃりですが)
noteを読みにこれなかったりする私ですが
最近フォローしてくださった方々のnote必ず読みに伺います。
これも何かのご縁だったらいいな…。末永くよろしくお願いします。

さて本題。
ゆるーく無理なく断捨離を続けてる日々
久々に開けたクリアケースから大阪文学学校時代に書いた作品が出てきた。

多分一年目の数作目だったはず
「詩人になりたい」という作品発見
(タイトルがもぉ恥ずかしい。穴があったら入りたい)
思い出すなー。これを書いて恩師のチューターに
「詩人になんてならなくていい!あなたはあなたのままでいい」
と言われたこと。私はそれでも諦められなくて
「先生それでも私は詩人になりたいんです!」と手紙を書いたっけ。
10年以上経った今なら痛いほどわかる。私の気性を知り尽くした先生が言われた言葉の真意。
肩書なんてどーでもいい。心から、名声とかいらん。
網野杏子として死ぬまで詩を書ける人生。
それがなにより私が望んだことだったから。

ところでだけど私は自分の詩を現代詩手帖に投稿したことは一度もない。
(ちょっと自慢めいて聞こえたらごめんなさい)
それでも同人誌の仲間に加えてもらったり自ら同人仲間を募ったおかげで
それらの仲間や編集が現代詩手帖に同人誌を送ってくれたりして
現代詩手帖の同人誌投稿欄に詩を掲載してもらえたり本年度の収穫に名前を挙げてもらえる機会に恵まれた。
「福岡ポエイチ」の実行委員のひとりにいつの間にかなってたおかげで、来場した詩人の方に手売りしていた詩集を購入してもらえ地域の新聞の小さな記事に「福岡ポエイチ」の網野の小冊子の詩は悪くなかったでと書いてもらえたりした。
※これらすべての掲載情報は詩を書く仲間が「載ってるよー」と教えてもらって。慌てて買いに走ったりして。もぉ有難いしかないよね。仲間って大事。

先日ズームの詩の教室で松下育男さんも言われていたけど
投稿欄に採用されたいと意向に沿うだろう作品を書いて投稿するより(掲載作品や掲載詩人の亜流になったりするより)ほんとうに自分が書きたいことを書いていって欲しい。
むしろ詩誌のほうがいつか近づいてきてくれるような作品づくりを。
と言ってらしてものすごく共感したものだ。
実際投稿欄の選評に名を連ねている詩人さんの中には
「自分も投稿してたけど当時落選ばかりでほとんど掲載されなかった。」と正直につぶやいているかたもいらっしゃる。
大阪文学学校でも学校制作誌『樹林』があり
在校生特集号に掲載されるとちょっとしたスター気分になれた。
だけど
実際いまその中で、何人残っているだろう?
むしろそこで叩かれたり賛否両論だった作品を書いていた人のほうが割合的に詩書きとして生き残ってたりする。のだから(脱線長っ!)

そうそう
当時の自作品だわよ。
今客観的に見ても そう 悪くないと思ってるけど。
オノマトペが酷い。
吉本の寛平ちゃんギャグみたいになってしまっている(伝われ!)
そのせいで
なかなかいいなと思える箇所も作品全体も台無しにしている。
笑わせる気は到底ないのにひさしぶりに自分で読んでも苦笑いしか出なかった。その心づもりで読んでほしい。

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「詩人になりたい」  網野杏子

つばまき散らし腕を組み
みんなが火星語をしゃべってる
斜め三十五度のいつもの目線
眉間に縦じわ ダンボの耳にする
ホニャラヘハ ヘロヘロポヘ
としか 聞こえない
思い切り地団太踏んでみた
振り向いてくれる素振りもない
口の中から渇いて
帰ったら何食べようなんて思い始める

生きていてもいいんだ
気づくのにこんなにかかった
そう言いたいだけなのに
私の言葉も
ホヒャラヘハ ヘロヘロポヘ
としか 届かない

とかげのしっぽも牛乳のふたにも飽きてしまった
カーテンを開けて
風に揺れる梢をながめる
小さな営みの連鎖の中
かすかに瞬くものを見ていたい
いつまでもみていたい
何処までそれが
ホヒャラヘハ ヘロヘロポヘ

としか 託せなくても
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いかがでした?
自分なりに捨てたくないフレーズが散りばめられてもいて
そこだけ別作品に再利用してたりします(エコでしょ♪)
でもやっぱり
オノマトペが酷いでしょ?
これを書いてからもう長い年月が経っています。
今の自分ならこのオノマトぺをどう書き換えるか考えてみました。
いやー。難しい!
結局、火星語だから

§¶ΨΞΦζ

みたいな表記にするだろうなと。
でもこれって 逃げ なんですよね。
音がない。視覚に逃げてる。

いやぁ、先日冷泉荘詩話会で萩原朔太郎を学んだのですが

犬のこころは恐れに青ざめ
夜陰の道路にながく吠える。
  のをあある とおあある のをあある やわああ
                    (遺傳)『青猫』より

みたいな えげつないオノマトペと
何年書けばお近づきになれるのでしょうか?
果てしない道だ。果てしなすぎる。
だからこそ
めちゃくちゃ詩って面白い!

オノマトベを前に完敗した私ですが
いつかまた懲りずにまた
それこそ何度でも
挑戦していこうと決意を新たにするのです。

                   (おしまい)





アンビリーバーボーな薄給で働いているのでw他県の詩の勉強会に行く旅費の積立にさせていただきます。