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RADWIMPSの話

夜遅く、RADWIMPSがサブスクリプションを解禁した。

私の中学時代(私は95年生まれ)は「RAD派か?BUMP派か?」なんて不毛な議論が、帰り道に繰り広げられていた。私は、無論RAD派だ。BUMP OF CHIKENの曲は天体観測しか知らない(こんなこと書いているとBUMPファンのお友達に怒られそうだ。)。中学時代に聴いていたのは、aiko、阿部真央、RADWIMPSくらいだった。そのころはサブスクリプションなんて存在しなかったから、YoutubeでMVを流しながら夜中まで勉強したものだ。

RADWIMPSに初めて出会ったのは父から譲り受けた"RADWIMPS4~おかずのご飯~"というアルバムだった。なんとなく買ってみたものの、父の趣味には合わなかったらしい(父はミーハーなので、みんながいいと言うものは一旦買ってしまうのだ。実家の私の部屋にずらりと並んだCDも、本も、ほとんどが父の趣味から外れてしまったお下がり品だった。)。野田洋次郎の甘い歌声がすごく好きだった。残念なことに、私は早口で話されると歌詞が聞き取れなかったので歌詞の意味は何も考えてなかった。だから、aikoほどどハマりはしなかったのだろう。

高校生の頃はほとんど聴かなかった。と言うのも、当時の彼氏がASIAN KUNG-FU GENERATIONが好きで、私も同じ趣味になろうと何度も何度も聴いていたからだ(結局、アジカンはあまり好きになれなかった。代わりにその彼氏にaikoを推しまくって、ジャンキーにしてあげた。一緒にライブに行けなかったのは心残りだ。)。女子校に通っていたせいか、男の人の声があまり心地よく聴けなくなってしまっていたから、aikoと椎名林檎を行ったり来たり。ついには、洋楽にも手を出していた。いつしか、RADWIMPSは記憶の奥の奥の方にしまいこまれてしまった。

大学3年生の時、”君の名は”の大ヒットで、久しぶりにRADWIMPSの名前を耳にした。もちろん映画を観るために映画館まで足を運び、ストーリー自体はなんだか恐ろしいと感じてしまったものの、RADWIMPSの音楽センスの高さと歌詞のセンスの良さに魅了された(無論、天気の子も観に行った。)。

中学時代の私はなんだか理由はわからずに、”RADいいな”なんて思っていたが、20歳を過ぎて聴くRADWIMPSは心に沁みるものがあった。ありきたりな理論だが、歳を重ねる中で得た経験とそれに伴う感情が歌詞に重なる瞬間がたくさんあるのだ。

me me sheなんてその代表作だ。ごめんねとありがとうがセットになる意味が分からなかったのに、今では全ての別れがごめんねとありがとうで包まれて記憶の奥底に眠っている。新しい曲で言えば、そっけないなんかも同じ経験したなあなんてなる。

私にとって、RADWIMPSは懐かしさと新しさを感じられる存在だ。今日はよく聴くプレイリストを組み直さなければならないな。

いや、その前に私の知らないRADWIMPSの曲をたくさん聴こう。誰でもいいから、おすすめの曲があれば教えてほしい。

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