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愛に出会えた瞬間

久しぶりに、どうしても書き残したい気持ちが生まれたのでnoteにログインした。
前の記事はLitteratiをお休みさせますという記事で、私のこれからの生き方のお話をしましたね。
それから、ありがたいことにお仕事も順調で、毎日自分自身と世の中から求められていることを考え、他者と関わり合いながら生きています。(世の中って言うと主語が大きいんだけど、世間の流れとを読み解きながら、関わる人にとって最大限有用なプロジェクトの見せ方を考えているから“世の中”ね。)

そんなことは置いといて。
今日は私のものすごくパーソナルな部分の話がしたい。

私は中学生の頃からaikoのファンだ。

世間広し、aikoファンも数万という中でも、aikoのことを好きになったきっかけが秘密というアルバムに収録されている“ウミウサギ”の人はなかなかいないだろう。

14歳。当時はCDが主流だった。私の部屋には誕生日にねだって買ってもらった、素敵なCDプレイヤーがあった。当時の技術にしてはいいスペックで、よく父からのお下がりCDを聴いていた。(父は数千枚のCDをコレクションしていて、そのほとんどは洋楽。ビートルズなんて同じ曲が入っているけれど、収録地?販売地?の違うCDまで集めていた。“好き”を極める人なのだ。)

父のお眼鏡に敵わなかったCDが私のところに流れてくる。いわゆるミーハーな父なので、少しでも話題になっているCDは洋楽だろうと邦楽だろうとせっせと集めていた。

ある夜、いつものようにお下がりCDを聴いている時、aikoの秘密があった。
かわいい声でなんて歌がうまいんだろう、というのが始めの数曲の感想だった。恋愛経験もさほど無く、全く歌詞には共感できない14歳の私は、特に歌詞カードを見ることもなく聴いていた。

アルバム終盤12曲目。
いきなりのピアノ前奏に鳥肌が立った。
ウミウサギが始まった瞬間に、全ての私の時間が止まったことを覚えている。

お洒落なベースとピアノ、そしてaikoの歌声が私を魅了した。今思えば、aikoの作る世界に飲み込まれた瞬間だった。

歌詞カードを見ても意味不明だった。
調べていただけばわかると思うが、aikoの楽曲の中でもウミウサギは言葉数が少なく、抽象度が高い。

分からなくても、私は好きだった。
切なく、どこか懐かしいこの曲が。

”この人のことをもっと知りたい。
この人の作る曲をもっと愛していきたい。“
と思う瞬間だった。

それから、狂ったようにaikoのCDを買い漁った。アルバム・CD・ライブDVD…私の家はネットショッピングが禁止されていたので、足繁くブックオフに通った。(高校の学校帰り、毎日のように行ってたな)
少ないお小遣いを叩いて、1枚数千円もするインディーズのCDまで買った。

毎晩、aikoのCDを聴きながら勉強する。
私の学生時代はaikoと共にあったと言っても過言ではないな。

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最近、ウミウサギばかり聴いている。
分からなかった歌詞は、いくらか共感できるようになった。
海際の思い出も、今ならある。あの人を思い出す、というような本当に懐かしい曲になった。
波の音なんて一つも入っていないけれど、静かな波の音が聴こえてくる。

年を重ね、aikoが表面的な恋の話だけではなく、人の深いところにある愛の話を音楽に落とし込んでいることが分かった。
中学生から何度も何度も聴いている曲が、年をとるに連れて全く異なる楽曲のように感じるのだ。
不思議だね。

aikoを好きになってもう10年を越えた。
私にも人生があるように、aikoにも人生がある。結婚をしたり、アレンジャーが変わったり、山もあれば谷もある。
それでも、私は彼女自身も彼女の音楽も、存在全てをこれからも愛していきたい。

ウミウサギに出会ったあの夜。
私の愛がはじまった夜を私は忘れない。




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