えっまさか 自分が脳梗塞!になるなんて 生きる まる1
えっまさか 自分が脳梗塞になるなんてを
読んでくださりありがとうございます。
感動的な友達との再会
生きてる 生きてる!
絶対に生きる!
この決意とは、反比例に
具合は、絶頂に悪く
頭が割れそうなくらい痛い。
クラクラ ふらふら ぐるぐる
もうー今までにない、痛みで、
絶対に生きる!
この決意があったから、
意識をここに置けたんだと思います。
友達には、
「どこの病院がいいか、教えてね」
っと言われたので、
とにかく、自分の氣力を保たなきゃ。
無意識で、
リハビリで、日常通っていた病院が
安心感があり、そこにしたんだと思います。
ふらふらだったので
車椅子を病院から借りて、
友達か乗せてくれました。この温もりに感謝❤️
そして、いつも通っていたので
受付もスムーズ 診察券を見せて、
耳鼻科を受診したい旨、
そのとき、症状も書いた?話した?
具合が絶頂に悪かったので
覚えていませんが、意識はあったので、
自分でやったような、、、💦
とにかく、氣力を相当振り絞りました。
友達は、
「じゃあ、後で迎えにくるね」
っといったんはバイバイ。
私が具合が悪そうだったのか
不安そうだったのか、
看護婦さんが話しかけてきてくれて
「どうしました?」
看護婦さんには、日常のお声かけでも
私には
この孤独の氣持ちを救いあげてくれる
天使の声。
症状を看護婦さんにつげたら
「じゃあ、耳鼻科まで一緒に行きましょう」
と優しく、車椅子を引いてくれました。
その後、廊下で待っている間も
「寒くないですか? 体調大丈夫ですか?
もうすぐ、順番ですよ」
私の具合を見つつ、お声かけしてくれた
優しさ、その温もり、なんだか覚えてます。🌈
そして、きた順番
「どうされました」
先生、
先生には、体調のこと、耳鼻科に行き
その薬を飲んだら、その後 倒れ、
立てなくなったこと、などなど、
とにかく、なんとかしたかったので、
必死に伝えました。
私のその時伝え方が悪かったのか
先生
「その耳鼻科の先生が出された薬は
一般的なめまいの薬で、
それが原因ではないので
じゃあ、別な薬をだしましょ」
うげー
私が伝えたいのはそこじゃない!
私の伝え方が悪かったのか、
耳鼻科の先生が出した薬のせいだっと
捉えられのか?
私が伝えたいのは
そこじゃない!
なんで、こうなったのか
本当の原因を知りたいだけだー
このままだと、診察が終わった帰される!
それは、絶対に困る😅
っと心の中で思い
「点滴をしてください!」
なんとしても、病院に残って
原因追及するために、出た言葉
そして、処置室に案内されて
看護婦さんが、
点滴 体温 血圧
ベッドに横たわり体調が安定するまで
様子を見てくださいました、
が、
回復せず
その間もいろんな先生がやって来て
体調を聞かれました。
蘇る 救急病院に行った時のあの光景
あんな風には絶対になりたくない‼️
心の底から祈りました🙏
そして、しばらくして
耳鼻科の先生が来てくれて
私の目に、ペンライトを当てて
目の動きをやたらとみる。
きっと ピコピコ揺れていたのでしょ
そして、先生
「MRIとります?
それとも、帰られます?」
私の体調を元に意思を尊重しての
言葉だったとは
思うのですが
心のうちは
こんなに具合が悪いんだから
帰るわけないだろー
MRI絶対に撮る
この決意に決まっていました。
もし、この時、はい、帰ります
なんて選択を選んでいたらぞーっとする。
今は、それくらい
個人の判断に委ねられていて
特に私は、その時、意識もあるし、
判断できるいうことで、
このように聞かれたんだと
今では、思いますが、その時の必死
心の😱叫びは、
ぼけー あったりまえだろー
帰らないに決まってる、絶対に何かあるから
MRI撮るに決まってるだろー💢
心のうちは、もちろんぐっととどめ😅
「MRIでお願いします。」
そして、MRIへ
初のMRI 体調マックスに悪く
まな板の上の鯉 状態でした。
こんな緊急状態なのに、
あーこのMRIの先生 かっこいいなぁ
なんて、呑気な私💦
もう一人の私は、神様に祈っている私🙏
もう一人は、みんなが優しく対応してくれて
ありがたやー。優しさに浸っている私❤️
いろんな私がいました。
そして、処置室に戻り、
しばらくすると、次から次へと
続々とお医者さんが現れて、
体調を聞いてくる、
前とは明らかに違う応対に
私は、まるで検体かぁぁぁ
でも、まだ、検査結果は分からず
だが、明らかに何かあったのは確実でした。
そして、現れた
年配で、貫禄
明らかにオーラが違う先生
この先生から告げられたのは
「脳梗塞でした、
ここの病院では対応できないので、
今から、対応できる病院を全力で
探しますので、お待ちください。」
のっの 脳梗塞!
まさかーっと言う気持ち
病名が分かって
よかったーと言う気持ち
ですが、私にとって
脳梗塞は、身近でした。
なぜなぜなら、
70代後半の母が
去年なったから、
退院後、麻痺などの後遺症は
残らなかったもの
明らかに前のようにはいかず、
父のサポート。
介護の日々。
母が、脳梗塞になったとき
すっごく心配で、毎日 LINEのやり取りを
したのを思い出しました。
それほど 命に関わる病気、今度は私が
まさかー
ショックと病名が分かった安堵と
いろんな気持ちが舞う中、とにかく
助かりたい
これだけの思いでした。
しばらくたち
救急隊員の方が現れ、
その手際の良さ
看護婦さん、先生のフルスピードで
対応してくださり、救急車へ
その時、心配してくれた
友達が、再度、病院にきてくれたのですが
そんな余裕はなく💦
あれよ あれよと
救急車🚑
救急車の中で、名前や年齢
緊急連絡先を聞かれ 姉に連絡
その時 救急車から姉に
「脳梗塞になった」ことをつげ、
あっという間に、病院へ
そして、病院 救急へ
救急にはトラウマがありました
が、その時とは全く違う緊迫感。
先生 (後の私の担当医の先生)
私の症状とMRI 血液検査の結果を見て
必死にこれからの対処を考えます。
脳梗塞の原因は、
何か 何か 何か
先生が、必死に考えている
先生の脳がフル回転して、
私の病状と向き合っているあの空気
あの姿は、目にも心にも焼き付いています。
これだー‼️
先生は、原因の元が
私の異常コレステロール数値
そして、元々血管が細い、
とにかく数値を下げて、
血液をサラサラにしないと、
どんどん血管が詰まり、体調が、、、
先生は、
私に今の病状を告げ、
この体調が安定するまで
どれくらいかは分からないこと、、
とにかく点滴で、この対処をし
体調を安定させることを告げました。
この先生に出会えたことは、
今でも感謝です。
真剣に命に向き合う姿は忘れられません。
そして、そのまま入院となり
看護婦さんより
「個室、2人部屋にしますか?」
病室をどうするかの 事務的確認。
もう、1人は嫌だ、
絶対に人がいるところがいい
4人部屋に入り、
その日は、ベッドから全く動くことなく
着替えも歯も磨かず、
そして、病院で、廊下を歩く音や
看護婦さんが、看護してくれる声
時々、聞こえるみんなの話し声が
生命のエネルギーに感じ、
あー私 生きてるんだ
助かったー。
やっと辿り着けた
病院の病室のベッド
あの日 体調は、マックスに悪いのに
生きることができる安堵に包まれ
眠りについたのを覚えています。
入院2日目
明日から始まる生きる
命との向き合いの日々が始まる
えっまさか 自分が脳梗塞!になるなんて
生きる まる2に続く
入院中 友達が送ってきてくれた写真
あまりに綺麗な光
これが、命の光に繋がった氣がします。