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「普通」と「幸せ」のギャップ

だいぶ前に読了したけれども…

どうも。コロナから完全に抜け出せた感がしているシロメガネです。
noteとはてなブログ。
両方やってますが、どちらともバランス良く投稿していくのって結構めんどくさい…。

そこで、気づけば自然と開いてしまうnoteを比重重めに、今年は徒然なるまま書き綴っていきたいと思っております。
どうぞよろしくです。
今回は、昨年の折り返しぐらいの時期に読了したこちらの小説をご紹介します。

吉川トリコ著:「ミドリのミ」

タイトルからして児童文学のような匂いがしたけれど、中身は全くかけ離れてた!!内容はだいぶ重いです。

あらすじ

重田ミドリは小学4年生。住み慣れたN市を離れることになってしまった。それは父・広に新しいパートナーが出来たからだ。そのパートナーとはカメラマンの平野源三という男。キャリアウーマンの母から離れて、父と源三の家に転がり混んだミドリ。転校した学校でもなかなかうまくなじめない。

父・広もミドリのこと、そして妻のこと、源三のこと――。様々なことで心を砕いている。離婚話はどうなるのだろう。そしてミドリにとって一番いいことは?

妻・貴美子も、ミドリと広が出て行き、仕事に邁進する日々を送る。離婚話は自分が拒否しているからもちろん進むはずもない。広の新しい恋人が男だという事実も受け入れられない。

”ふつう”だと思っていたことが、崩れていく。
でも毎日生きていかなくてはならない。
何が自分にとって幸せなのか、何が相手にとって幸せなのか。
それぞれが考える幸せの形。そして家族の形。
amazonより

感想

あらすじを見ればお分かりかと思うが、この本は一筋縄ではいかない。
主人公の女の子の身の上がとっても心配になってしまう。
特に子どもを持つ身となるとなおさら、子どもが苦しんだり、それをひた隠しにして頑張る描写があると、胸が苦しくなってしまう。

ある人から見たらシロに見えるものでも、本人からしたら「シロ」いことが苦しいと思う事だってある。
逆に「クロ」だと思っても、回り回って見るとそうではないことだってある。

あー、何だか難解な話になりそうだ。

ミドリちゃんは、本当はお母さんともいたいはず。
だけど、一緒にいればいるほど、お母さんの気持ちが手に取るように分かってしまう。
自分はここにいてはいけないのだと…。

ひょんなことから父と源三という知らないおっさんとの関係を知ってしまうのだけど、なぜか拒絶できない何かを感じる。ミドリなりに。

こうして思い出しながら書いていくと、今でも胸が苦しいぜ。

何が「普通」なんだろう

私が生きていると感じる「普通」の基準。
実は、私にとってはそれが重圧に感じる。

息子がトイレが怖いことはおかしいことなのではないか。
私のモノの考え方がずれているのではないか。
思うがままに生きるって、わがままなのか。

あげればキリがないけれど、そう思ってしまうそもそもの始まりは、

「普通」かどうか。

ミドリの母も、お母さんからの重圧に押しつぶされそうになりながらも懸命に生きている。

良い学校を卒業したこと。周りが羨むようなすごい会社に就職したこと。
結婚したこと。ミドリを出産したこと。

それらは全て、女性が得るべき「普通」を得るため。

でもそれら全てを手に入れたからといって、幸せになるとは限らない。

実はこんな風に思えるようになったのは何も、これを読んだからではない。

私が幸せだなぁ、とか、満たされているなぁと思うのは、
家族と息子が作った工作で話が弾むだとか、一人時間に心ゆくまで本に没頭できることだったりとか。はたまた、夫が元気で健康でいてくれていることとか(もちろん息子も)

図らずも昨年末コロナになって、自分が一番大切にしていきたいことを考えたときに、
自分のやりたいことや、これからの生活設計なんかが、世間で示している「普通」からかけ離れたものではないかと思ったからだ。

詳しいことは、色々なことが固まって決意したときに、noteで書いていきたいと思うので簡潔に。

そう近くない将来、私は今よりも「バリバリ」扶養を気にせず、むしろ夫には仕事はそこそこに家のことをやってもらいつつ、大黒柱のような立ち位置で家族を支えていきたいという願望が芽生え始めた。

あー、読書感想からまたもかけ離れてしまった。

でも本というのは、自分の考えとか、あり方とかを見つめ直すきっかけにもなるわけで。

読書はやめられないわ。

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