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どろどろしてジリジリやられた6年間

地獄の日々だった
この一文でしか私の病院勤務は示せなくなってきている。

仕事を辞めて、もうすぐ5ヶ月が経つ。
次の仕事は無事に決まったので、転職活動も終了してなんとなくダラダラしている。
感情って不思議なもので、あれだけドロドロとしていたものも忘れていってしまい、当時の私と同じような悩みを抱えている人をみても同情できなくなってきてしまった。なぜなら、あの地獄の日々を忘れかけていっているから。
でもそれって、「なんか勿体無い?」と最近気づいたので、残しておく。

死と生の隣り合わせの病棟で怒鳴られる

6年前、私は総合病院の看護補助者として勤務開始した。
看護師を目指そうと思ったからだ。
配属は小児科産科の病棟
新生児の産声が聞こえる傍らで、乳がんや子宮の病気の方が闘病していたり、子供をおろす選択をした女性もいた。
患者家族に赤ちゃんを泣き止ませろ!と怒鳴られたり、
時には小児に絵本を読んだり、ママが買い物に行く間ずっと抱っこして見守りをしたり、がん患者さんの話し相手になったりと
生と死が入り乱れていた。
人それぞれ置かれている状況が違くて、赤ちゃんの泣き声ひとつにしても
それを喜ぶものもいれば、怒鳴る人もいて
なんだか不思議な空間だった。

認知症のお年寄りと過ごす新鮮な日々

看護師になるのをやめた私は、異動を命じられ、認知症のおじいちゃんおばあちゃんたちの病棟にいった。
治療をしている人はいなく、リハビリをしている人たちの病棟。
病棟を見回ってると、「〜さーん!!おねがーーい!!」「ちょっとそこのあなたー!!!!」と何度も叫ばれ、ナースコールが鳴り止まない日々。私の頭がおかしくなった
始めは何が何だかわからず相手をするが、何が言いたいのかわからないし、あちらこちらにそんな方がたくさんいて、ゆっくり相手をしていると他の患者さんに手が回らない。そんな環境がつらくなったが、すごく新鮮だった。
落ち着きのない人はしきりに「家に帰りたい」と言い、病室からの脱走を図ったり、車椅子で出てきたり、自分の置かれている状況がわからず杖で殴りかかってきたりした。
しかし、みんなゆっくりと話を聞いてあげると落ち着くことがわかった私は、全員にそうやって接してあげたいと思ったが、もちろんそんな時間の余裕はない。患者55人くらいに対してスタッフが少なすぎて走り回っても追いつかない。安全な入院生活を送ってもらうことを徹底するだけでも手が足りないと感じたからだ。
そんな環境から逃げた私は事務スタッフになる。

8時間椅子に座り続けるつらさ

初めての事務作業。
世の中には、事務は楽というフレーズが溢れている
そんなイメージしかなかった私
そして今後の人生を送る上で、接客だけの経験だけではダメだと思ったのもあり事務に挑戦した。
結論、私には事務は向いていなかった
なぜか?

  1. 椅子に8時間座ってるのが辛い

  2. 暇な時間が多い (看護補助者に比べて)

  3. 電話が嫌い

  4. 最低限の社会人としての言葉遣いを知らなかった

  5. 多機能電話・FAX・コピーができない

こんなものだろうか。
これらの基本的なスキルを20代のうちにギリギリ習得できて本当によかったと思う。わら

平凡だけどジリジリとやられる私の精神

事務になってから、疲れの種類が変わった
病棟の頃は身体が疲れていて、でも若かったから寝れば回復したし、休みの日も外に遊びに出かけたり、むしろ早番の日は夕方から飲みにいったりしていた。
事務は頭が疲れて回復に時間がかかった
寝ても疲れは取れない。
無駄な緊張感
何言ってるかわからない電話の対応をするストレス
対面のコミュニケーションに慣れていた私は、電話への慣れに時間がかかった。
しかし、仕事の量で言えばとても少なく、なんでこの部署にはこんなに人がいるのだろうと思ったくらいだ。
始めから始めから事務で入職しているスタッフは、忙しいと言っていたが病棟から降りてきた私には理解できなかったし、何を幸せなこと言ってるのか、同じ病院内にこんなに人がいるなら、病棟に人手を回してくれればいいのにと思ったくらいだ。

やりがいが全くない

そんな、ふわふわした事務仕事をしているのに私は精神がイカれた
先輩たちが仕事してくれないのにイライラし、
何より仕事をしていて楽しいと感じる瞬間が全くなかった。
給料も人並みにもらえるようになり、定時で帰れるし、シフト勤務でもなくなって待遇はすごく良くなったのに。
病棟の時は、患者さんが変化しているのを間近でみれたり、いろんなお話をしたり、スタッフともいかに効率よく仕事して定時で帰るか団結したり、やりがいはすごくあった。

続きは次の記事にて。


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