もしすべてのことに意味があるなら がんがわたしに教えてくれたこと という鈴木美穂さんの本を読みました。ほぼずっと読みながら泣いてしまったが笑、良い本だった 彼女が創設に関わっているマギーズ東京には一度訪問したことがあり、大好きな場所です。 わたしは、がん患者ではありませんが。母ががんになったときに、誰に話しても全ては話せなくて、もんもんとしてたところ、マギーズ東京の存在を見つけ勇気を出して足を踏み入れた。 そこはとても素敵な場所で、落ち着けて、座ってぼーっとしてるだけで
こんばんは。 みなさんの人生の目的ってなんでしょうか そんなもん、無くてもよくて。 一日一日をただ楽しく生きる!それでもよくて。 未来のことを不安になりながら、その不安を払拭しようと考えながら生きる、も正しくて。 正解はもちろんない 明日を不安に思わず、その時を楽しもうとする姿勢はこの国で学んだ。 けっきょく、楽しかった1日は昨日になり、積み重なって過去になる それなら、楽しい日を過ごしたほうがいいじゃないか そんな日がたくさんあったほうが良いじゃないか。 うん、すごく理解
海外生活も早14ヶ月目です。 新しいメンバーを見て、何を見ても新鮮と感じていたあの頃の気持ちを思い出したくなった そもそも“海外生活”ってなんなんだろうな 日本人は、日本と海外の区切りが大きいと思うけど、こっちにいると外人だから、みたいな見方をしている人は少ないと感じる なんで、新鮮と感じていた頃の気持ちを思い出したいかというと、 海外生活が日常生活化してしまって、なんでここで生活してるのかわからなくなってきたからだ 食べたいなと思うものを躊躇なく買えて、行きたいなーとと
日本にちょっとだけ帰ってきた。 ほんとにどこも静かだなと思う それを日本の友達に言っても誰にも理解されないが笑 今回は前回できなかったことを中心に、そして 自分の心境がどんどん変化していることにも気づいた。 今回は、ダンスレッスンに1年ぶりに参加したんだけど そこでレッスンメンバーの男の子で海外勤務考えてるって人がいるから話してあげてーって言われて話した いろいろ迷っているようだったけど、こういう偶然の出会いみたいなのをわたしは大切にして今まで過ごしてきたなあと気付かされ
こんばんは 仕事のストレスがやばくて日々疲労 セブ島に勤務していて、次の仕事を探すときは他の国と思ってたけど フィリピン内で探さないの?て聞かれて盲点だったので ちょっと視野に入れて考えている。 環境は大好きなんだけど やっぱやりがいがないのがね〜 パソコンと向き合う仕事はやはり向いてないなー。 労働ビザがあるから、とりあえずあと1年は働くつもりだけど 来年からはちょっと先のことも考えて暮らしていきたいな けっきょくわたしは日本人だし 環境に順応しようと思ったけど 文
もう10月ですね 季節感のない国で過ごしてると時間感覚がなさすぎてびっくりする わたしは日本の四季が大好きなので秋の味覚を味わいたく、甘栗を買い込みました スタバにもパンプキンがあったから頼んだ デザートはなかったけど。 最近思うことは 海外生活が日常化して、勤務当初のキラキラ感を忘れていたが 最近また新しい人が日本から来て、その人のことみてたら当時の自分を見てるようだった あーそういえば英語勉強したくて来たんだったなーとか 休みの日何したらいいんだろーて思ったり 何かを
生きたい と思う理由なんてなんでも良いと思う 生きたい という言葉は、少し大げさかもしれないけれど。 1日を過ごすことがしんどいときもあって そんなときは暗い曲を聴いて落ちれるところまで落ちてみたり。 さみしいときには、誰かと一緒にいたいのに、 誰かと関わるとバイバイしたあとにさらにさみしくなるから、人に会わないようにしてみたり。 何をして過ごしても時間は過ぎていく わかっているのに、すぐ忘れてしまう 時間は有限ではない いつ死ぬかもわからない 何者かになりたいわけでは
こんばんは。 カフェで何を頼むか永遠とカウンターの前でぼーっと悩んで、店員が諦めていなくなる日々です。 なんでみんなあんなに早く選べるのか? セブに来てからはものすごくそれを感じる わたしの今のところ見つけた対策はおすすめを聞くこと。 人に尋ねることも苦手なわたしは、カフェでそんな行動を取れるようになったことも、自分ではちょっと驚きではあるが。 セブのカフェ店員さんは、甘いのが良いというと、だいたい キャラメルマキアート、抹茶、スパニッシュラテと返事が来ることはわかっ
あの選択をしたから というテーマで書くにあたって、自分の分岐点となったであろういろんな出来事を思い出したが 中学校の部活選び これがおそらく1つ目のターニングポイントだったとおもう。 わたしは吹奏楽部を選んだ。 このときの選択が、今の私に繋がっている気がする 親には驚かれ、いそがしくなるけど大丈夫なのかと言われる 小学生の頃あまり外に出ず過ごしていた私をみていたから驚いたのだろう。 部活体験では、ピアノの経験しかなかったわたしは、どの楽器も出来なかった。大体の人は小学校で
なんだかよくわからないけど謎のストレスがあるのか疲れがずっととれず何もしたくない日々 先月いろいろやりすぎた疲れか。 バランスってほんとうに難しいな 一緒にいてくれる人がいるから救われてるけど。 人からの告白を受け入れるのって体力がいるなあと思う 嬉しいのはもちろん、なんと返そうか、自分の気持ちも変化するし、お互いの関係性も今までとは少し変わるだろう。 そして、時が解決するって言葉も久々に自分の中でしっくりきている いつの間にか許せるようになるし、普通の関係に戻れるし、
マギーズ東京を皆さん知っていますか? がん患者さんや、患者さん家族・友人など、がんに関わる人が訪れる、第2の家のような空間です。 私の母は肺がんのステージ4と診断されました 脳転移もしていて、素人ながら調べたところ余命は半年ほど? 病状について詳しく親が話してくれたことはなかったが、深刻な状態なのはわかった 急遽始まった入院生活。家族会議で知らされたのは入院の前日 母は着丈に振る舞っていたが実際は不安だっただろう。 ストレスためるのは良くないからと言って、よく笑って過ごし
急遽、友達とふたりで熱海に1泊した。 東京に住んでた私達にとって、気軽に行ける温泉地かつ海が見える場所だったからだ 暑い夏の季節、夜風は気持ちいい 散歩が好きなわたしは、何時間歩いていても飽きることはない。でも、夏の炎天下の中では長くは歩けない。 そんな夏でも夜の散歩は最高だ。 夜風を感じながら、友達とぶらぶら夜道を語りながら歩く そしていつの間にか波の音が聞こえて、海に近づいていることがわかる 砂浜についた私達は、途中で買ったアイスをまず食べようとした しかしわたしはす
こんにちは。 カフェでぼーっとして文章を書く時間が好きです 人と色んな話するのも好きだし、新しいことするのも好きだけど バランス取れなくて疲れちゃうのなんとかしたい ってずっと言ってるけど直らないから多分無理なんだろうな🤣諦めよう 日本がもっと生きやすい国になったらいいのにって中学生の頃から思ってた あの頃から生きづらさはあった 学校も行ってたし部活もやって、普通の学生だった(と思う)けどなんかずっと生きづらかった 周りの話を聞いてる限りでは、わたしは親にも恵まれてたと思
セブで暮らして半年が経過しようとしてる。 ひさびさにこのNoteを開いた セブに来たばかりの頃の新鮮なあの気持ちを残しておけばよかったと思うがもう遅いので でも人生において、何かを初めることに遅いということはないので 適当に書きます 何を書くって決めてないけどとりあえずセブの生活について。 まず言えるのは、どこで暮らしたって自分が変わらないと何も変わらないってこと 生活拠点を変えることで気分が変わったりポジティブに働くことはたくさんあるけど、それを活かせるかどうかは自分次第
ドロドロ 続き 医療従事者として日々過ごすということ コロナのパンデミックが始まった。 病院は混沌としていた テレビで感染拡大と言っている頃には、もう院内は受け入れ困難でパンクしていた。 かかりつけの患者さんすら断らなければいけなく、患者さんを選んで受け入れるしか方法はなかった 緊急患者の受け入れをやっていた私は、本当に心が折れたし世の中はひどい状態だと思った 救急車は呼んでもこれない、2時間以上待ち、徒歩10分のクリニックからの搬送要請ですら、足がない患者さんは病院に向
地獄の日々だった この一文でしか私の病院勤務は示せなくなってきている。 仕事を辞めて、もうすぐ5ヶ月が経つ。 次の仕事は無事に決まったので、転職活動も終了してなんとなくダラダラしている。 感情って不思議なもので、あれだけドロドロとしていたものも忘れていってしまい、当時の私と同じような悩みを抱えている人をみても同情できなくなってきてしまった。なぜなら、あの地獄の日々を忘れかけていっているから。 でもそれって、「なんか勿体無い?」と最近気づいたので、残しておく。 死と生の隣り