─『クワイエット・プレイス』
私自身、ホラー映画を自分から好んで見ることはないのだけれど、ある日母親が、家族の共有空間であるリビングでテレビを付け、Amazon primeを開き、
母:「ホラー映画で話題になったやつって、何だっけ?」
私:「イット?」
母:「音が出たらダメなやつ」
私:「クワイエットなんとか?」
音声検索:「クワイエット・プレイス」
母:「見よ」
というような謎の展開があり、クワイエット・プレイスが私の目の前で上映されることになった。
映画を見て、他の人の感想などを見た上での、私の感想はまずこれに尽きる。
ジャンルに拘ってると、色々見逃してしまうな。
ホラー映画だという認識だったので、見進めても、「あれ、そんなにホラーじゃないな」とばかり考えてしまって、この映画の根底にあるテーマに辿り着くのに、だいぶ時間がかかった。むしろ、見終わってから気付いたくらいだ。
「音を立てたら即死」なんて言われたから、恐怖の対象である「音」に対して身構えてばかりいた。
音に関して言えば、この映画の中で、一番「音」に敏感だったのは長女なのだと思う。彼女の仕草の中でも、とりわけ印象に残ってるのが、足の動きだ。例えばフローリングの上を歩くとして、踵をつけ、しっかりと足の裏全体をつけて歩けば、そんなに音は立たないような気がする。しかし、劇中では彼女の耳では、自分の立てる音すらも分からないために、ただ歩くことにすら神経を集中させなければならない。歩く時の音に気を付けなければいけないのは他の家族も同じだろうけれど、どういった時に、どういった物が音を発するのかという恐怖は彼女が一番強いのではないかと思う。それを示すように、劇中では、末の弟の死からかなりのストレスを受けている(彼女が、音を出すおもちゃを与える要因を作ってしまったという責任を感じている)。
本筋からは離れるけれど、中盤で父親が試行錯誤の果てに作ってくれた補聴器を使い、実際に彼女は音が聞こえるようになった。映画では聞こえるようになった喜びが描写されていたけれど、逆に聞こえるようになったことによる、自分が過去に音を立てていたかもしれないという恐怖もあったのではないかと思う。
「音を立てたら即死」だなんて謳っていたけれど、実際、人間の心臓の音だってあのモンスターには聞こえるだろう。自然の音にも反応しないらしいし、他の生命体が出す音は?と疑問に思えども、動物が屠られているシーンは無かった。そこまで「音」についての設定を徹底していなかったのは、音のない世界という設定が副次的なものでしかなかったんだなと、今更理解できたような気がする。
多くの人が言うように、親が子を、子が親を、兄弟が新しくできる兄弟を、というような「家族の絆」と言うテーマが巧妙に添えられていた。
今回私はホラー映画という認識で見てしまったけど、言い方を変えれば、この映画は二通りの見方で見ることができるのかもしれない。
初めは純粋にホラー映画として、次は家族の絆の物語として。
冒頭の前置きは特に意味を持つわけではないのだけれど、ホラー映画を「テレビで見た」という事については、少し言及の余地があるかもしれない。
今回のnoteは、テレビという、映画館のスクリーンに比べたら小さな画面、そしてしょぼい音響環境で見た記録なので、実際に映画館で見た場合の感想とはまた違ったものだと思う。
特に、音がね。映画館では立体的に、あらゆる方向から音が聞こえてくるけれど、テレビだとどうしても、平面的なものになってしまう。
これは映画館で見るべきだったなという少しの後悔を添えて、筆を置くことにする。