近況的な。

書き足りない日もある。それとか感情が渦巻いて書くことがあるのに文章の流れが悪く書けないこともある。1日は長く、人生も長い。思うことはいくらでも湧いてくる。困ったものだ。

この生活も3週間が経った。新しい生活にすぐ慣れるかと言えばそんなことはなく、正直言ってストレスばかりである。過去に囚われる私自身もそうだし、なるようにならない今の状況に対してもそうだ。私が思い描いていたものはもう何もなく、先には未知の世界が広がるばかりなのである。そんな不確定なものにワクワクしない私の性分がそうさせているのかもしれない。

先に進むことは好きだし、変化を追い求めるのは好きなのだけれど、どうも私の手に負えないものが好きではないらしい。そういうものこそ好きな人間もいるのかもしれないが、正直私にはそれが重たいものに見えてしまう。想像しうるものに対しては準備ができるが、そうでないものに対しては全くもって準備ができない。それが起こることが相当なストレスなのである。たとえば風船が割れる音とかそうである。そもそも大きな音にはびっくりしてメンタルを削られてしまうタイプなのだけれど(メンタル削られるだなんて全く理解されないと思うが、私は五感の中でも耳が敏感だったりするから割とホントだったりする、防衛本能的なものだろう)、あれは大体急にパンッっていくんだからたまったものではない。風船を膨らませる奴がいれば耳を塞ぐ、これが私の防衛策で、わかっていさえすれば準備ができる。こういう対策がとれるものに対しては大きなストレスは感じないのだけど、対策なく、急遽目の前に訪れたものに対してはなす術がなく、そのストレスを身をもって受けるしかないのである。

そういうものが目の前にやってきた時、解決に向かう努力はせずいつも逃げてきたな、という認識はある。本当に嫌なことはなんだかんだ逃げてきた人間だ。自分の人生に向き合うということをしてこなかった気がする。なんとかなる、どうにでもなる、私の取り柄でもある極度の楽観主義が嫌なことからは逃げればいいという結論ばかりを残していったのかもしれない。

逃げてはいけないこともある。現実を真摯に受け止めなければならないこともある。これまでうまくいったことはすべてちゃんと向き合ったことだったろう。ここで感じた何かが私自身を変えていくのだろうし、大事なことにはちゃんと向き合う勇気と胆力を身につけられるはずだ。今思えば、逆に失敗してきたことはいつもなあなあにしていたことだったかもしれない。なあなあに終わらせられるのはそれはそれで私のスキルの1つかもしれないが、これからの人生、それだけではうまくいかない。逃げていいことと逃げてはいけないこと、その線引きくらいはちゃんとやろう。

日が長くなった。気晴らしに走ってこよう。

にゃーん。