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近況的な。

清々しい朝だ。自宅から見上げた空はまだまだ薄暗く、頬を刺す秋の渇いた空気は冷たい。顔を洗ったあとに保湿をしなかったことを少しばかりか悔やんだ。なぜ筆を執ったかと言えば時間を持て余したからである。朝からこうやって言葉を選ぶ作業はなかなかにタフであるが、それぐらいが私には丁度良いのかもしれない。最近は頭が働きすぎる。

小山田壮平が好きだといったキミの顔も名前も覚えていないのだけれど、小山田壮平が好きだというその事実だけは私に沈着している。andymoriとか小山田壮平とかそんなワードを初対面であえて発する人間に会ったのは久しぶりだったし、キミとは趣味が合いそうだと少しだけ思った。そんな2週間前の夜。

趣味が合う人間なんてなかなかいない。いや、本当はたくさんいるのだけどその人たちと世界線が交わるかといえばそうではないという話で。かつてプライベートで音楽の話をした友人は数えるほどだし、その友人とも何もかも趣味が合うわけではない。当然のことだがそれはそれで不思議なことにも思える。数多の人間がいながら皆が異なる感覚を持っているわけだ。

皆が異なる感覚を持っているだなんて当たり前のことであるのだけれど、案外忘れがちなことだなと自省している。余裕がなくなると盲目になり、盲目になると他人を受け入れられなくなる。立場が変わるに連れて一人ではやっていけなくなってきたし、他人を受け入れて尊重する姿勢は持ち合わせなければならないと常々思わされる。その心をお互いに持てたとき良い関係となるのだろうし、自分ばかりがそれをすればただただ疲れるのだろう。

それが皆できるような社会に、世界になればよいのだと思うのだけれど、難しいのだろうか。皆それぞれに追い求めるものがあり、それに準じた行動をする。それを合致させることが組織の、社会の、世界の第一歩なのかもしれない。

肌がカサつく。ああ、やっぱり保湿をしなかったせいだ。

にゃーん。