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幽霊はだれだ

「ここはなぁ? 歴代の先輩たちがずぅっと愛して通った店でな?」
べろんべろんに酔っ払っている、自称先輩が肩を抱いてきた。同性であっても気持ちが悪い。
自称先輩は、半分目が閉じかかっている。とても迷惑だ。
「あの、こういうのアルハラですよね。やめてもらっていいですか」
「んぇ? なんて?」
「だから、昔はどうだか知りませんけど、今はそういう時代じゃないんで。こんなの撮って上げたら一発なんで」
お酒で頬の赤い半目の自称先輩は、上がっていた口角をゆっくり下げると、焦点を合わせて言った。
「……あっそ。すみませんね。……つまんないやつにからんじまった」
ウーロン茶を飲んでいた俺の顔が、カッと赤くなるのを感じた。
すっかり興味を失った自称先輩は、俺に背を向け、サークルで貸し切った座敷をきょろきょろと見回した。掘りごたつから足を抜き、他のグループに参加するべく腰を上げたところだった。
俺はつい、彼のパンツの裾を掴んでしまった。
つんのめった自称先輩はジョッキを持ったまま、床の畳に頭をぶつけた。
「ごつっ」という大きな音がしたが、俺以外の周りの人間は喧騒のせいか気づいた様子はない。
「あの、……」
おそるおそる声をかけるが、全く動く様子がない。
肩に触れるべきか、それとも頭を打っているのだから動かさないほうがいいのかわからず、俺は小さな声で問いかけることしかできないでいた。
「大丈夫ですか?」
ジョッキの酒は、自称先輩の頭に少し被ったくらいで畳にこぼれた気配はない。多少とも責任のある俺は胸を撫で下ろした。俺は迷惑な人間じゃない。
動かない自称先輩を気にしつつも、冷えつつある唐揚げを救出したり、斜め前の人にピッチャーを渡してあげたりと、サークル飲みに参加する者として最低限のことはやっていた。
「……うう、ん」
死んだかのように動かなかった自称先輩が、呻き声を上げた。
少し最悪の事態を考えていた俺は、正直ほっとした。元はといえばこの自称先輩が悪い。けれど結果いかんによっては、寝覚めが悪くなることはあり得たのだ。
「大丈夫ですか」
うつろな目で、言葉を発した俺の方に体を向ける。髪をかきあげて、寝転んだまま俺を見上げた。
「あー……、お前か」
「え?」
ジョッキをテーブルに置くと、勢いよく俺に向き合った。
「お前だな?」
「は?」
なんだか先ほどとは違うように思えた。素面になったのか? でも、なんだか圧が、顔は笑っているのに、なんだか怖い。
自称先輩はさらに一歩踏み込み、俺の心を丸裸にするかのように眺め回した。
「敬意とは、誰でも持てるものじゃない」
「はあ」
「そんな返答しかできないんなら、返答せんでいい」
「……」
また顔が赤らむのを感じた。俺はこんな奴に敗北感を感じているのか?
「わかるか? 尊敬に値する人間が敬意を持たれるんじゃない。尊敬を他人に感じられる人間だけが敬意を持てるんだ」
「……」
「理解できんか?」
「……それって、ただの負け惜しみですよね? 歴代の先輩とかなんだか知りませんけど、時代に合ってないんですよ。古臭い慣習に縛られて、周りが白い目で見ているのに気づいていないんだ!」
俺らしくもなく、少し声を荒げてしまった。でも間違ったことは言っていない。慣習に縛られて思考停止になっている奴の言葉なんて、俺には響かない。
「ふぅん?」
「なんですか」
「いや。……お前が大事にしてるものは、周囲なんだなと思ってな」
「はあ? 当たり前でしょ? あんた周りのこと考えずに生きてるんですか? ほんと迷惑な人だな!」
「いや……、うーん、まあ、うん。なら、いいや」
「ちょっと……」
呆れた顔をして、自称先輩はジョッキを再び持つと去っていった。こちらを振り向くこともせず、顔見知りのグループに混じってそのまま一瞥もしなかった。俺はそのまま、デザートに出てきた余ったアイスを一人で食べ尽くし、数日お腹を壊して寝込んだ。

復帰してから、大学で自称先輩を見かけた。俺は寝込んでいる間も、言いかけてやめた言葉と呆れた表情が引っかかって仕様がなかった。
だから我慢ができなかった。
「あのっ!」
友人たちと、だらだら話しながら食堂に向かっていた自称先輩は、こちらを振り向いた。
「あの、この前飲み会で言いかけたこと、なんだったんですか?」
「は?」
「だから、この前のサークルの飲み会で俺に絡んできたじゃないですか! その時に言いかけたことは……」
「ごめん、ごめん! ちょっと落ち着いてよ。なに、君サークルの後輩?」
「あ、……そうですけど」
「……あー、一人ぼっちでウーロン茶飲んでた子だ?」
「その情報いりますか?」
「なになに、すげー生意気な後輩じゃん。お前ちゃんと指導しろよー」
自称先輩の周りの人間が、俺たちの会話に割り込んでくる。ヘラヘラしている。
関係ないだろ、お前には。類は友を呼ぶって本当なんだな。どいつもこいつも。
「俺に言いかけたことを教えてください」
「って言われてもなー。俺、お前とたいして話してないと思うんだけど」
「俺に説教したじゃないですか! 尊敬に値する人間が云々って!」
「俺が? 人違いじゃない?」
「そんなはずない! あんただ!」
自称先輩は困ったように友人に視線を送った。それを受けて、友人は自称先輩の肩を抱いて俺の方に身を乗り出してきた。
「こいつさー、霊感あるってか、憑かれやすいっぽいんだよね。酔ってると特に。もしかして、幽霊と話してたとか?」
「適当なこと言って誤魔化そうとするなんて、卑怯じゃないですか」
自称先輩の友人は驚いたように目を見開くと、意地悪そうに笑った。
「いや、お前何様? 聞いときながら、教えてもらう態度じゃねえし。もう行こうぜ」
自称先輩たちの後ろ姿に向かって、俺は叫んだ。
「今どきあんなサークル飲み、ネットに上げたら一発なんだからな」
「幽霊にも相手にされなかったくせに。笑う」
やつらは笑いながら去っていった。

俺に非はない。
周りの人間に大皿のおかずを取り分けたし、隣の人間の酒がズボンにかかっても笑って許したし、つまらなくても最後までいたのに!
スマホを取り出しSNSを開くと、自分のプロフィールを眺める。たくさんのフォロワー、たくさんの賛同の証。
「俺に非はない。……のに」
画面に表示された時間に気づき、授業のある教室にいそいそと向かった。
彼は今からある授業が好きだった。珍しく教授が生徒の名前を読んで出欠確認をするからだった。

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