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終わるとか終わらないとか

さていろいろございますね。本日の感染者数、チェックしてもおりません。気をつけて見てるし、なんなら暇なので見ざるをえないんですがね、今日はどこに書いてあるのかわかりませんね。
5/6でいったん自粛期間は終わる体でいるようですが、当たり前のように終わりませんよね。そしてこの言葉も怖いんです。終わるわけがない、みたいな発言です。わかってるんだ、それわかってて受け入れられるんだ、なんて大人なんだ、と思ってしまいます。齢34歳、まだ現実を受け入れられておりません。よくみんな気が狂わないでいられますね?世界が壊れちゃったんだと思いますよ?私…
あんなに格差のあった人々が、今できることただ一つ、として、家にいるんですよね。芸能人もスポーツ選手もみんなみんな…一緒ですね。
ただ飲んでる酒の値段がちがうのかもしれませんね。そこは培ってきたものが違うということですね。
娘は今夜、眠れなかったみたいなので、背中をトントンしてやりながら、こんなことになってなぁ、不安だよなぁ、と言ってあげましたら、うんうんとうなずいておりました。未知すぎて逆に新しくもないって感じでしょうかね。生後6年くらいだと。
我々は少なくとも34年は普通に人と交流し、会話し、お店に行き、肩組んで写真を撮ったりした経験があるので、やはりあきらめのつかないところはありますよね。でも生後6年くらいだったらまだコミュニティのあり方の修正が可能なのかも、しれません。
ということを深く考えていくと、これから全てがオンラインになり、コミュニケーションが重視されない時代が来るのかもしれない、とも思います。なんなら顔面の偏差値もあまり関係がない。美しい心と、圧倒的な学力で持ってリーチをつけていくしかないという時代を迎えるのかも。これは引きこもり諸君、および、社会性が少しばかり欠如している諸君にも朗報なのではないか。本当の実力主義社会になるのではないかと思うのです。なーんてな。
しかし形を持ってしまったものが全部どうでも良くなるのだとしたらそれは価値観が大きく変わりそうですね。実店舗よりオンラインストア。でも手触りまで知りたい。そこを埋めるのがテクノロジーって感じがします。
こんな状況じゃ洋服もあまり意味ないですけどね。せーっかく痩せたのに、誰にも会えないなんて残念でございますよ。数万円お金かけて買ったお洋服に今現在なんの価値があるのでしょうか?自分が着たいから着るのよってなコピーをたまに見ますけど、そんな自分のために着飾ってる私を見て欲しいんですよね。表現の一種だと思います。客観的な視点なしには、価値をつけることは難しいのです。なので見て欲しい、このわたし、おしゃれしたこのわたしを…

わたしは嫌です、はやく、元通り、みんなで楽しく過ごしたいです。笑ったり泣いたり怒ったり、数人で雰囲気とかその場のノリに合わせて集まって、笑って生きたいです。
もう元どおりの生活は無理だろうなんて、簡単に言わないで下さいませぬか…?
それが本当だったらとりあえず一時間泣かせてください。それから順応します。

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